■日本は3位決定戦へ

 試合はすべて「ガバメント・スタジアム」(現在の香港スタジアムの地にあった旧スタジアム)で行われた。1953年完成。陸上競技型で、深く狭い谷の傾斜を利用して東西と南の3方のスタンドを造成し、北側、銅鑼湾のゴール裏に更衣室などの諸室を入れた粗末な建物(上階は観客席になっていた)がある形式で、当時、屋根は北側のゴール裏と西側のメインスタンドにしか架けられていなかった。

 バックスタンド裏には急傾斜の崖があり、当時はスタジアムをつくったときに露出した岩盤がそのまま残っていた。大会は大人気で多くの試合日に満員になったが、満員でない日にも、その岩の斜面のところどころにあるわずかな「棚」に、そこに生えた灌木につかまるように何百人もの人が腰を下ろしているのが見えた。そうした「員数外」も含め、スタジアムの熱気は素晴らしかった。前年にドイツでワールドカップを経験した私だったが、この香港の熱狂と熱気はまた格別だった。

 準決勝は1日目に日本が中国に挑み、1-2で敗れた。FW陣のスピードを生かして奮闘したが、中国のベテランたちのしたたかな試合運びの前に逃げ切られた。翌日の北朝鮮対香港は3-3からPK戦で双方が14人ずつけるという大変な熱戦になったが、PK戦11-10で北朝鮮が勝って、中国とともにアジアカップ出場権を手中にした。日本は3位決定戦で香港と当たり、相手がエースの胡国雄(ウ・コクフン)を温存している間にFW渡辺三男(22歳)が先制点を挙げ、胡国雄が出てきて劣勢になると5バックにして1-0のまま逃げ切った。決勝戦は中国に疲れが見え、北朝鮮が2-0でものにした。

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