サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回のテーマは半世紀前のアジアカップの「アツさ」について。
■中国の健闘と北朝鮮の苦戦
中国は元来サッカー人気の非常に高い国で、FIFAからの脱退後も国内競技は数多く行われていた。しかし1966年に始まった文化大革命で中国のスポーツ全体が大きな打撃を受け、ようやくスポーツが再開されたのは革命の後期、1972年ごろからだった。当然、「失われた6年間」には選手は育たなかった。そのため、このアジアカップ予選に出場した中国代表も、平均年齢30歳というチームだった。
しかしそのサッカーは素晴らしかった。FWには、細身でジョージ・ベストのようなドリブルテクニックと強烈な左足シュートをもつ容志行(ロン・ジシン)がいた。DFの中央には、長身でエレガントなテクニックをもつフランツ・ベッケンバウアーのような戚務生(チ・ウシェン)がいた。いずれも「文革前」の選手だった。
A組ではこの中国がブルネイに10-1、香港に1-0で勝って準決勝に進んだ。B組は接戦となったが、北朝鮮が日本とシンガポールにともに1-0で勝って首位となった。日本は終盤の永井良和(23歳)の決勝点でシンガポールに2-1で勝ち、なんとか2位で準決勝に進んだ。
北朝鮮が思いがけなく苦戦したのは、ピッチコンディションの影響だった。日本戦もシンガポール戦も大雨のなかの試合となり、ピッチは泥沼となった。このピッチを見て、日本の長沼監督は先発選手を入れ替え、最もキック力のある古田篤良さん(22歳)を右のサイドバックに起用した。そしてひたすらロングパスを送り、スピードあるFW陣を生かした。
北朝鮮は、1966年からのスタイルであるグラウンダーのショートバスに拘泥し、パスワークは寸断された。個々の力としては圧倒的なものをもっていながら、北朝鮮には戦術の柔軟性がまったくなかった。シンガポールとの試合は泥沼のうえに試合中も強雨が降って水たまりまでできていたが、巧みにボールを浮かしてプレーするシンガポールを相手に、この試合も北朝鮮は苦戦した。