【本田圭佑が進む道(1)】生粋のチャレンジャー・本田圭佑はなぜ今、4対4の全国大会を創設したのか手……「子供のうちから調子に乗れないのは、本当にゆがんだ社会」の画像
本田圭佑 撮影:元川悦子

 2018年ロシアワールドカップ(W杯)を最後に日本代表に区切りをつけ、世界のトップを目指すキャリアから一線を画した本田圭佑。

 その後は「世界各国の1部リーグで得点する」という新たな目標を定め、オーストラリア・Aリーグのメルボルン・ビクトリー、オランダ1部のフィテッセ、ブラジル1部のボタフォゴ、アゼルバイジャン1部のネフチ・バクー、リトアニア1部のスドゥーバ・マリヤンポレの5クラブを渡り歩いた。しかし、2021年11月にスドゥーバを退団した後は、長い長い無所属状態が続いている。

 2021年12月以降の空白期間は、カンボジア代表の実質的監督や東京都1部「EDO ALL UNITED」の発起人兼GM、2022年カタールW杯の解説者、さまざまなビジネスなどを幅広く活動していたが、ひざのケガもあって、自らピッチに立つことはなかった。

 そんな本田が8月1日、自身が考案したルールで今月からスタートするU―10のためのサッカー全国大会「4v4」の創設記者会見に出席。発起人としての思いを熱く語ると同時に、子供たちとのエキシビションマッチにも参加。久しぶりにピッチ上で本気モードのプレーを披露した。

 ゴールを奪った場面では、2010年南アフリカW杯・カメルーン戦の先制弾を彷彿させる雄叫びを挙げるなど、37歳になった今もサッカーに対する情熱は衰えていない様子だった。

「この大会を立ち上げたのは、小4の世界大会がないと感じたから。U―12は小5・6年生の戦いになってしまって、3・4年生は入れない。その世代にチャンスを与えたかった」と本田は新たな全国大会設立のきっかけを口にした。

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