■香川、中島、南野の苦しみ
そして次なる後継者に指名されたのは香川。「今まで10番はゲームメーカー的な選手は担っていたけど、自分は点の取れる新たな10番像を作りたい」と宣言。2011年アジアカップ(カタール)で堂々たるデビューを果たした。
しかし、そこからの香川は「代表に来るとクラブのようには活躍できない」と評されるようになり、2014年ブラジルW杯では極度の不振に陥ってしまう。2戦目のギリシャ戦でスタメンを外された時には信じがたい思いでいっぱいだったに違いない。
屈辱を晴らすべく、次なる4年間も強い意気込みを持って代表にのぞんだが、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督からは想像以上の冷遇を受け、2017年段階では選外に。最終的に西野朗監督が就任したことで、本大会では初戦・コロンビア戦の先制弾を決めるなど、香川らしさを示すことができたが、10番の8年間を通してみれば、才能を全て出し切ったとは言い切れない時期が長かった。
香川が代表を外れた後、10番を託されたのは中島翔哉。第1次森保ジャパン発足時の堂安・南野拓実(モナコ)・中島の三銃士の推進力は新たな未来への希望を抱かせた。ところが、中島は2019年アジアカップ(UAE)をケガで欠場すると、アル・ドゥハイルからポルトへの移籍を経てコンスタントに試合に出られなくなり、代表からも外れた。
そこで2020年からは南野が10番を引き継ぐ形になったが、ちょうどリバプールで壁にぶつかっていたタイミングで、代表に来ても得点を奪えず苦しんだ。2021年秋から始まったカタールW杯最終予選でもその傾向が顕著で、左サイドで怖さを発揮しきれなかった。
本人もこの状況に危機感を覚え、2022年夏にモナコ移籍に踏み切ったが、新天地でもまさかの停滞が続き、カタールW杯本番ではまさかのベンチ。クロアチア戦でのPK失敗を含め、本当に辛い時間を過ごすことになった。