【久保建英の進むべき道(1)】「このまま一生入らないんじゃないかと思った」と語った、長いトンネル。代表デビューのエルサルバドル戦から丸4年の苦難の日々の画像
エルサルバドル戦でプレーしたサッカー日本代表の久保建英 撮影:中地拓也

「この(エルサルバドルの)レベルだったら、たぶん贅沢すぎるラインナップだと思いますし、相手へのリスペクトを欠いているわけじゃないですけど、明らかに僕たちの方が強度も高かったと思う。三笘(薫)選手もタテだけじゃなくて中にも行っていましたし、今日はやりたい放題だったのかなと思います」

 6月15日のエルサルバドル戦(豊田)を6-0で圧勝した後、久保建英(レアル・ソシエダ)は自信満々にこう言った。

 それもそのはず。キックオフ直後に三笘が強引な仕掛けから得たFKを彼自身が蹴って谷口彰悟(アルラーヤン)のヘッド先制弾を演出し、さらに上田綺世(セルクル・ブルージュ)が奪ったPKで自ら追加点を挙げ、開始4分で2-0、11対10の数的優位という状況になったのだから、今の日本にとっては楽すぎるゲーム展開だった。

 久保自身も上記のアシストに加え、前半25分の3点目、そして後半15分の中村敬斗(LASKリンツ)の5点目のアシストと縦横無尽の大活躍。2019年6月に自身が初キャップを飾った相手・エルサルバドル相手に大きな成長を示したのである。

 正直言って、久保にとっての代表での4年間は想定外の連続だっただろう。18歳5日で代表デビューした頃は、金田喜稔が持つ19歳119日という最年少ゴール記録更新は確実と見られていた。が、2019年9月から始まった2022年カタールワールドカップ(W杯)2次予選では出番を増やせず、インパクトを残せないまま時間が過ぎていく。2020年から始まったコロナ禍で代表戦が中断したことも、記録達成の障害となった。

 2021年夏は東京五輪代表優先となり、彼がA代表に専念できるようになったのは同年秋以降。すでに20歳となり、最年少ゴール記録達成は不可能になっていたが、代表レギュラーは何としても奪取したかった。

 日本がカタールW杯最終予選初戦・オマーン戦(吹田)で黒星発進を強いられ、続く中国戦(ドーハ)で先発した彼がいい働きをしたことで、確かに好機は訪れた。しかし、直後に当時所属のマジョルカで負傷。千載一遇のチャンスをフイにしてしまう。

 結局、最終予選が終わった時点では「W杯代表当落線上」の位置づけに。ゴールもなく、本人も焦燥感でいっぱいだったはずだ。

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