大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第113回「何でも、何回でも、突き続ける」(3)「王国」ブラジルを支える、子ども時代に扱うさまざまな「サッカーボール」の画像
サンパウロの「サッカー博物館」に展示されていたブラジルの少年たちが使う「ボール代用品」の数々。左上から右へ靴下、ヒョウタン、マッチ箱。2段目新聞紙とヒモ、ソーダ飲料カン、プチプチとテープ。下段レモン、ビンのセン、紙とテープ (c)Y.Osumi
 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは、サッカーに役立つのか、役立たないのか、分からないもの。

■少年時代のペレが蹴っていたもの

 さて、以前『勝利への脱出』という映画を紹介したことがある(2021年8月)。そのなかで、ペレのセリフとして「(少年時代は)オレンジでボールリフティングをしていた」という内容のものがあり、これはペレの少年時代の実話であることを紹介した。1970年代後半にニューヨーク・コスモスに在籍していたペレは、アメリカの少年少女のために技術映像をつくったが、そのときにもこの「得意技」を披露している。ところがブラジルの少年たちがけり上げていたのはオレンジだけではなかったらしい。

 2014年のワールドカップ期間中にサンパウロにある「サッカーミュージアム」を訪れたことがある。市内のパカエンブー・スタジアムに設置された立派な施設だった。パカエンブーは1940年に完成し、1950年ワールドカップでは主会場のひとつとして使われた。

 この大会の優勝はグループステージを1位で突破した4チームの「リーグ戦」によって決められたが、7月16日、リオデジャネイロのマラカナン・スタジアムにサッカー史上空前の20万人の大観衆を集めて行われた「ブラジル×ウルグアイ」の「裏試合」として、同日同時刻に「スウェーデン×スペイン」が行われたのは、このパカエンブーだった。大会の進み具合によっては、ここで優勝が決まる可能性もあったのである。

 しかしこの名スタジアムも老朽化して市内の他のスタジアムに主役の座を明け渡し、北側のゴール裏スタンド(このスタジアムのメインの建築物)内に2008年に完成したのがブラジルのサッカーミュージアムである。なぜマラカナンのあるリオではなくサンパウロだったのか。それは「ブラジル・サッカーの父」と言われるチャールズ・ミラーの出生地だったからだ。

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