■日本軍による奇襲
1941年12月に日本は米国や英国などに対して宣戦を布告。日本海軍はハワイ真珠湾のアメリカ艦隊に対する奇襲攻撃に成功。マレー半島沖では英国海軍の戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを撃沈します。
そして、翌1942年1、2月には海軍特別陸戦隊と陸軍第1挺身隊が、それぞれセレベス島のメナドとパレンバンに落下傘降下による奇襲を敢行。油田や製油所を占領します。
中国との戦争が泥沼化した中で、米国や英国といった大国を相手に戦争をしかけるなど無謀な自殺行為としか思えませんが、米国が日本向けの石油禁輸を実施したため、そのままでは日本の軍事力が弱体化してしまうので、日本政府は“一か八か”の開戦を決めたのです。
ですから、開戦当初に東南アジアでの天然資源を確保するため、オランダ領東インド(現在のインドネシア)の油田や製油所を占領しなければなりませんでした。
しかも、占領前に製油所を破壊されてしまったのでは資源を利用することができません。そこで、落下傘部隊による奇襲攻撃で製油所を無傷で占領しようとしたのです。