後藤健生の「蹴球放浪記」第155回「コルテスが来た道で異世界を妄想する」の巻(1)1986年ワールドカップでメキシコが見せた景色の画像
メキシコ大会記者席入場券 提供/後藤健生

 世界は広い。さまざまな選手がいるし、志向するサッカーも、それぞれだ。実際に世界大会に足を運べば、驚きに出くわす。蹴球放浪家・後藤健生を驚かせる風景も、そこにはある。

■1986年のメキシコにて

 ワールドカップを観戦に行くとグループリーグの間は毎日のように試合があります。しかし、準々決勝以降になると、試合のない日が増えていきます。

 そんな時は、観光旅行のチャンスです。

 開催地がカタールというのでは行きたい場所も思い浮かびませんが、たとえばロシア大会の時には僕はサンクトペテルブルグ観光を楽しみました。

 1986年のメキシコ・ワールドカップの時は、準決勝から3位決定戦までの間に僕はメキシコ湾岸(東海岸)の港町ベラクルスまでの1泊旅行を決行しました。

 ベラクルス……。1519年の4月22日にスペインの軍人、エルナン・コルテスが上陸して街を建設。そこに「ビジャ・リカ・デ・ラ・ベラ・クルス(真実の十字架の富める街)」と名付けたのです。素敵な響きじゃないですか!

 コルテスはベラクルスに上陸すると、当時メキシコ中央高原を支配していたアステカ帝国に向かって攻め上がって、ついに首都のテノチティトランを征服し、そこに植民地「ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)」の首都、シウダード・デ・メヒコ(メキシコ市)を建設します。現在のメキシコ合衆国の首都です。

 コルテスが上陸した時、彼の手勢は300人くらいだったといいます。たったそれだけの人数で大帝国を相手に戦いを挑んで勝利してしまったのですから、驚くべきことと言っていいでしょう。

  1. 1
  2. 2
  3. 3