大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第104回「ペレに関する10のことがら」(後編3)運命に導かれた背番号10との出会いと、生涯忘れなかったフェアプレー精神の画像
ペレはいつまでも人々の心の中に生き続ける 写真:ロイター/アフロ
 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、サッカージャーナリスト・大住良之による「超マニアックコラム」。「サッカーの王様」を10個のエピソードで探っていく。

 

■その9 背番号10のミステリー

 

 ペレといえば10番である。

 日本ではJリーグが始まる前から「背番号10」が最も花形の番号とされていた。おそらくそれは、木村和司(日産~横浜マリノス)やラモス瑠偉(読売クラブ~ヴェルディ川崎)ら1980年代に活躍した選手たちの影響によるものだろう。またあるいは、1979年のワールドユース(日本開催、現在のFIFA U-20ワールドカップ)以来、マラドーナが10番を付け続けたことによるものかもしれない。彼らがフィーチャーされるなかで、「背番号10はサッカーの特別な番号」というイメージが出来上がった。

 しかしそれはサッカーが(あるいは背番号をつける習慣が)始まった当初からのものではない。そのイメージの始まりがペレだったのである。

 1958年、ブラジルをワールドカップ初優勝に導いて17歳で世界の寵児となったペレの背中にあったのが10番だった。以後、ブラジル代表でも所属のサントスFCでも、ペレは10番しかつけなくなった。その前には、サントスでも、FWのさまざまな番号、7番から11番をつけていたのである。当時のサッカーは、先発選手に1番から11番まで割り当てられるものだったからだ。

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