■期待薄の試合のために香港へ

 その年末年始を海外で過ごした唯一の経験は、1980年の暮れのことでした。1982年に開かれるスペイン・ワールドカップのアジア1次予選第4組の戦いが、この年の12月末から翌1981年1月にかけて香港で行われたのです。

 当時は、日本がワールドカップに出場するなど「夢のまた夢」という時代でした。ワールドカップはスペイン大会から24か国参加に拡大されたのですが、それでもアジア・オセアニア枠は2つでした(クウェートとニュージーランドが本大会進出)。そして、当時の日本が中東勢や韓国に勝つことなど考えられないことでした。

 日本代表の最大の目標はオリンピック予選突破であり、ワールドカップ予選はオリンピック予選のための準備のような雰囲気でした。

 しかも、スペイン大会予選の直前には日本代表の渡辺正監督が病気で倒れてしまいました。大会まで時間がないというので、川淵三郎強化部長が急遽監督に就任。川淵さんらしく思い切った若返りを行いました。また、西ドイツ留学中の森孝慈さんを呼び戻してコーチに就任させ、現場での指導は森コーチに任せたのです。

 しかし、若手中心の日本代表は香港へ出発する前に「日本代表シニア」と対戦して完敗を喫してしまいました。

 そんなチーム状況を考えれば予選突破は期待薄。というわけで、ほとんど注目されていませんでした。

 テレビ中継などはもちろんなく、予選のために特派員を送る新聞もなし。『サッカー・マガジン』誌がカメラマンの今井恭司さんを派遣しましたが、記者はいなかったので、今井さんが写真を撮りながら記事も書くという状況でした。

 で、僕もほとんど期待などせずに香港まで行ったのですが、ピッチ上では若い選手たちが素晴らしい試合を展開してくれたのです。

(2)へ続く
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