後藤健生の「蹴球放浪記」第137回「各国語、各国通貨が飛び交うダフ屋の現場」の巻(1)イタリアでの警察官との秘密のやり取りの画像
トリノで後藤氏が売っていたチケット 提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生は、多くのワールドカップを観戦してきた。大会の数だけ、感動がある。そして、辛い思いも…。今だから話せる、「時効」の話がある。

■都市ごとのセット販売

 前回は、スペイン・ワールドカップの時は入場券がホテルとセットでなければ買えなかったということをご紹介しました。その後の1986年のメキシコ大会と1990年のイタリア大会では入場券はホテルとは別に予約できるようになりましたが、入場券自体はやはりセット販売でした。会場ごとのセットです。

 あ、そうそう、僕はメキシコ大会以降は取材申請をして記者席で観戦できるようになったのですが、当時はサポーター団体の元祖「日本サッカー狂会」の幹事として観戦ツアーを作っていたので、数十人分の入場券を買う必要があったのです。

 セット販売というのは各都市ごとの入場券がセットになっているということです。たとえば、メキシコ大会では6月1日にグアダラハラ市のエスタディオ・ハリスコでスペイン対ブラジルという好カードがありました。その試合を観戦したいと思ったら、グアダラハラで行われる9試合の入場券をすべて買わなければならないのです。

 まあ、ハリスコではグループリーグではブラジルの試合が3試合行われ、ラウンド16から準々決勝、準決勝も行われるので好カードばかりなのですが、同じグアダラハラのエスタディオ・トレス・デ・マルソ(3月3日競技場)でのアルジェリア対北アイルランドといった人気薄の試合の入場券も買わなくてはならないのです。同じように、西ドイツの試合を見たければケレタロ市での7試合分を買わなければならないのです。

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