■「日本人指導者の刺激になれば」
タイのBGパトゥム・ユナイテッドの指揮官として、日本開催のACL東地区ノックアウトステージを戦った手倉森誠は、1993年のJリーグ開幕を現役の選手として迎えたが、その足跡は率直に言って控え目なものだった。指導者としてのキャリアも、J2のクラブからスタートしている。
ベガルタ仙台をJ2からJ1へ昇格させ、J1で優勝争いを演じると、2014年にリオ五輪出場を目ざすU-21日本代表監督に指名された。「自分のような経歴の監督がアジア予選を勝ち抜き、五輪でも勝ってみせれば、日本人指導者のモチベーションになるに違いない」との思いが、身体の芯を貫いていった。
18年のロシアW杯も同様だった。自身がスタッフ入りしている日本代表が成果をあげれば、「いつかは自分も国際舞台で戦いたい」との野心を抱く日本人指導者が出てくるに違いない、と考えていた。
BGの監督として目前の結果にこだわり、タイサッカーを牽引していくことも、手倉森のなかでは同じ意味を持っている。
「海外クラブで指揮を執るのは自分の目標というか夢でもあったし、それが叶ったなかでこうしてアジアの舞台に立つことに、ものすごくやりがいを感じている。同時に、日本人指導者の刺激になればいいなという気持ちは、いつも持っています」(手倉森監督、以下同)