大陸間プレーオフも終了し、カタール・ワールドカップ出場国が出そろった。「大陸間プレーオフ」。蹴球放浪家・後藤健生にとっては、懐かしい言葉でもある。四半世紀も前、蹴球放浪家は日本が出場を回避したにもかかわらず、ワールドカップ予選の大一番を目撃するため、オーストラリアへ飛んでいた。
■欧州のビッグゲームのような雰囲気
試合当日のメルボルンは昼間からゴールドのシャツに身を包んだオージーたちがビールを片手に練り歩き、ヨーロッパでのビッグゲームと同じような雰囲気でした。
オーストラリアはテヘランでの第1戦を1対1で引き分けていました。そして、第2戦では31分にハリー・キューエルが先制。48分にもアウレリオ・ビドマーが2点目を決めて「1974年大会以来の出場権獲得」かと思われました。ところが、75分にカリム・バゲリ、79分にホダダッド・アジジのゴールが決まってイランが同点に追いついてしまいました。
2試合とも引き分けで、合計得点は3対3でしたが、アウェーゴール・ルールが適用されてイランの勝ち抜きが決まったのです。
想像してみましょう。「もし、この試合がテヘランで行われてイラン代表がこんな負け方をしたら、どんな騒ぎになっただろうか」と。僕は、この1997年の予選でテヘランでイラン対シリアの試合を観戦しました。帰りはレフェリーのバスに同乗させてもらったのですが、途中で判定に不満を持ったイラン人たちから大量の煉瓦を投げつけられたのです。イランが勝っていたにも関わらず、です。
いや、東京でも大変なことになっていたでしょう。10月26日のUAE戦で日本が引き分けに終わった後、国立競技場の正門付近は大勢の激高したファンに囲まれて、暴動のような雰囲気になっていました。2点リードを守れずに追いつかれて予選敗退が決まったりしたら、タダではすまなかったでしょう。