■「ゼロ」から「22人」へ

 そしてプレーヤーである。1998年に日本が初めてワールドカップに出場したときには、全員がJリーグのクラブ所属選手だった。大会後に中田英寿がイタリアに渡って成功し、パイオニアとなった。そして日本代表選手たちが次々と欧州のリーグで活躍することになる。

 ワールドカップ出場選手(1998年までは22人、以後は23人)のなかで、何人が欧州のクラブでプレーしているかを見ると、この20年間の変化が明確になる。1998年にはゼロだったものが、2002年には4人、2006年には6人、2010年には4人と減ったが。2014年には一挙に12人に増え、2018年には15人となったのだ。

 そしていま、6月の4試合に選ばれた28人の選手中、Jリーグの選手は6人に過ぎない。22人が「欧州組」なのである。さらにフィールドプレーヤーを見ると、24人中Jリーグはわずか4人になる。

 Jリーグの「過疎化」を心配する人もいるが、この20年間で「欧州組」だけでも代表を組めるようにまでなったのは、日本人プレーヤーの力が欧州で完全に認められ、欧州の「選手マーケット」に組み込まれたことを意味している。いまや、欧州のスカウトたちは、Jリーグはもちろん、大学リーグや高校サッカーにまで目を向けている。

 ワールドカップ2002が残した最大の「レガシー」、それは、日本人プレーヤーの成長であり、日本代表チームの成長に違いない。2002年から20年後の2022年ワールドカップ・カタール大会で、その成長をしっかりと世界に示さなければならない。

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