移り変わる日本サッカーの「城」が教えてくれること【ワールドカップ2002のレガシー】(3)の画像
日本サッカーの城、JFAハウスは売却が決まった 撮影:渡辺航滋

 カタールでワールドカップが開かれる2022年は、日本のサッカーにとって節目の年となる。地元開催となった日韓ワールドカップから、20年を数えることになるのだ。その記念すべき大会は、日本サッカー界に何を残したのか。サッカージャーナリスト・大住良之が検証する。

■燃え上がった韓国ファン

 大会中には、日本も韓国もワールドカップ一色となった。日本代表の試合が行われる日には日本の各地で青いユニホームに身を包んだ若者が闊歩(かっぽ)し、勝てばさまざまなところでお祭り騒ぎになった。ファンは日本チームの宿舎からスタジアムまでぎっしりと沿道に並んで声援を送ったが、日本チームだけでなく、外国チームの選手たちも興味の的となった。なかでもイングランド代表のデービッド・ベッカムは映画スターのような人気を集めた。

 韓国の盛り上がりはもっとすさまじかった。韓国は決勝トーナメントにはいっても快進撃を続け、準決勝まで到達した。ここからは勝てず、4位に終わったが、もちろんワールドカップ4位はアジアのサッカーの歴史を塗り替える快挙。試合ごとに赤いTシャツに身を包んだ市民が街頭に繰り出し、まるで「革命」のような雰囲気をつくりだした。

 ある報告によると、「街頭応援」の数は、初戦のポーランド戦(○2-0)で50万人、続くアメリカ戦(△1-1)で11万人、グループ突破を決めたポルトガル戦(○1-0)で270万人、決勝トーナメント1回戦のイタリア戦(○2-1)で420万人、準々決勝のスペイン戦(0-0、PK戦5-3)で500万人、さらに準決勝のドイツ戦(●0-1)では700万人にも達し、延べ2400万人にもなった。

  1. 1
  2. 2
  3. 3