「アーセナルのクラブ財政規模がどのくらい大きく、選手補強にいくら使っているか知っているのか!」

 オシムさんは、ベンゲルと自分の仕事を比較されたのだと思ったのだ。私があわてて説明することで、オシムさんの血圧急上昇状態を短時間で収めることはできたのだが、この「誤解」で、私は、「ジェフユナイテッド市原」(当時の正式名称)という、Jリーグでも経営規模の小さなクラブをオシムさんが選んだ理由がわかったような気がした。

■なぜオシムさんは日本を選んだのか

 2002年夏まで務めたシュトルム・グラーツ(オーストリア)の監督という立場を自ら辞し、約半年間「フリー」の状態だったオシムさん。当然、欧州各国のクラブから引く手あまただったはずだが、日本のJリーグ、そしてそのなかでもけっして裕福ではない市原を選んだ。グラーツの監督を辞任した理由は、欧州チャンピオンズリーグに出場するためのクラブの無謀な選手補強だった。それが、裕福ではなくても高い志をもつ市原での挑戦を決意させた理由の大きな部分だったに違いない。

 当時すでに「金満」状態にあった欧州のサッカー。クラブ間の競争は、湯水のように流れ込むテレビ放映権収入を利用して世界中からスターを買いあさり、どれだけ豪華なメンバーを並べられるかにかかっていた。そうした状態が、オシムさんにとって心地よいはずがない。オシムさんにとって何より大事なのは、高い志をもち、その実現のために全身全霊をかけてサッカーに取り組み、大きなことを実現する人間を育てることだったに違いないからだ。

  1. 1
  2. 2
  3. 3