■アフリカ取材に必要だったもの
いちばん大変だったのは、ワールドユース選手権取材のためにナイジェリアに行った時でした。
1999年4月に行われたナイジェリアでのワールドユース選手権では、フィリップ・トルシエ監督が率いる日本代表が準優勝。決勝戦ではシャビ・エルナンデス(現、FCバルセロナ監督)がいたスペインに0対4で完敗しましたが、日本のチームがFIFA主催の世界大会で決勝に進出したのはこれが初めてでした。小野伸二や稲本潤一、小笠原満男、高原直泰、中田浩二といった錚々たるメンバーが揃っていました。
実は、ナイジェリア大会は当初1995年に開催される予定でしたが、現地で髄膜炎が流行したことによって開催を断念。この年の大会は中東のカタールで開催されました。
僕は1995年の大会にも行こうと思っていました。そこで、横浜港にある検疫所に相談に行ったのです(当時、横浜の学校で働いていたからです)。
そうしたら、「いつ行くんですか?」と医師に聞かれました。医師はカレンダーを見ながら考えていました。
「ナイジェリアだと、何と何と、何と何と……。う~ん、今すぐ一発目を打ちましょう」と言われて、その場でいきなりコレラの注射を打たれてしまいました。つまり、何種類もの予防接種が必要で、接種と接種の間には間隔を開けなくてはいけないので全部を打ち終わるのに時間がかかるからです。
ちなみに、コレラ・ワクチンの注射はかなり痛いうえに、1週間目に2本目を打たなければいけません。しかも、黄熱は10年有効なのに、コレラの有効期間はわずか半年。あまり“お得”ではありません。
ところが、コレラの2回目の接種を終えた頃、「ナイジェリア開催中止」のニュースが入って来たので、この時はコレラ以外の注射は打ちませんでした。