■リヴィウのもうひとつの呼び名

 リヴィウというのは、ウクライナの他の都市とはだいぶ趣が違います。かつては、ポーランド領だった土地だからです。

 中世にはヨーロッパ屈指の大国だったポーランドですが、18世紀に入るとプロイセン(ドイツ)、オーストリア、ロシアによって3度に渡って分割され、1795年の第3次分割によって世界地図から姿を消してしまいます。リヴィウは、1772年の第1次分割の時からオーストリア領となりました。

 現在のオーストリアは中欧の小国ですが、第1次世界大戦前はオーストリア=ハンガリー帝国としてヨーロッパの大国であり、かつての神聖ローマ皇帝の地位を継ぐハプスブルク家の皇帝が君臨していました。ハプスブルク家はもともとはスイスの小貴族でしたが、政略を巡らせ、また幸運に恵まれたことによって巨大な帝国を築き上げました。

 旧ハプスブルク帝国は第1次世界大戦で消滅。その支配下にあった各民族は独立を果たしましたが、各国には、かつてのオーストリア=ハンガリー帝国によって建設された非常に美しい街並みが今でも残っています。リヴィウも、世界遺産に登録されている美しい街です。

 1919年に第1次世界大戦が終わると、領土を巡ってウクライナとポーランドは戦争を始めますが、結局、リヴィウの街はポーランド領となりました(「リヴィウ」はウクライナ語の都市名。ポーランド語では「ルヴフ」)。

 リヴィウがウクライナ領となったのは第2次世界大戦後のことです。

(2)へ続く
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