「日本サッカーにサポーターが誕生した日」文化となったその存在【Jリーグの30年】(5)の画像
浦和レッズのサポーターは「文化」をアジアにも広めた 撮影/渡辺航滋(Sony α1使用)

 いまや、日本にサッカーのプロリーグがあるのは当たり前のことである。しかし、その「日常」がない時代もあった。
 この「現在」をつくりあげた歴史を振り返ることは、「未来」を築くことにつながる。サッカージャーナリスト・大住良之が、Jリーグが日常になった過程を振り返る。

■自然発生したサポーター

 日本サッカーにサポーターが誕生した日は、はっきりとわかっている。1992年9月5日である。茨城県の笠松運動公園陸上競技場、大宮市(現さいたま市)の埼玉県大宮公園サッカー場、名古屋瑞穂球技場、そして神戸中央球技場で行われた4試合で、期せずして自主的に歌い、チームを応援するサポーターの集団が現れたのである。

 このナビスコカップの節を追うごとにサポーターの集団はふくれあがり、11月のアジアカップ(広島)を経て国立競技場で決勝戦を迎えるころには、両ゴール裏は完全にサポーター席となり、さらにはみ出してバックスタンド上部にまで広がっていた。そして翌1993年のJリーグ開幕と同時に、サポーターのパワーは全開となった。

「オーレ、オレ、オレ、オレ!」というサポーターの歌声はテレビ放映を通じて全国の幼児たちまで歌うようになり、1993年の流行語大賞では大賞が「Jリーグ」、そして新語部門の金賞を「サポーター」が占めた。サポーターで埋まったカラフルなスタンド、巨大なフラッグの波、絶え間なく続く応援歌に、Jリーグの試合を見に訪れた人が酔った。そして選手たちは戦いへと駆り立てられた。

 選手たちのプロ意識、ハイレベルな外国籍選手の参加もあって、試合のレベルも急速に上がった。しかしJSL時代とJリーグ時代の試合の最大の違いは、サポーターの有無だった。サポーターの存在が、JリーグをJSL時代とはまったく別な次元のエンターテインメントにしたのだ。

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