「人類の祭典」の本質を変えてしまったテレビ放送の功罪【ワールドカップはいつ「死にはじめた」のか】(2)の画像
「スポーツ大国」アメリカを巻き込み、ワールドカップは肥大化していった 写真:渡辺航滋

 2022年にはワールドカップ・カタール大会が開催される。世界最大のスポーツイベントだが、すでに単なるサッカー最強国を決める大会にはとどまらなくなっている。続伸するその勢いはとどまるところを知らず、ついには自らをも飲み込もうとしている。

■最初は現地のみだったテレビ放送

 将来の見通しもたたないまま、1930年に南米ウルグアイで第1回大会が開催されたワールドカップ。それはたちまち成功を収め、第二次世界大戦後にはオリンピックをしのぐ関心を呼ぶ「人類の祭典」となった。その成長に寄与するだけでなく、ワールドカップの本質に変化をもたらしたのは「テレビ放送」である。

 ワールドカップは1954年のスイス大会で早くもテレビ中継が行われたが、それはスイス国内のごく限定された放送にすぎなかった。しかし「国際中継」が始まると状況は変わる。

 欧州と米国の間で最初に人工衛星を使った「衛星中継」が行われたのは1962年の7月。この年の暮れにはアメリカが「リレイ1号」と名づけられた人工衛星を太平洋上に上げて初めて日本とつなぎ、1963年7月には初めての地球の自転に同期する衛星「シンコム2号」が打ち上げられて勤労感謝の日に当たる11月23日に最初の試験放送が行われた。その放送の冒頭に飛び込んできたのが、アメリカ時間で前日の昼に起こった(日本時間では23日の午前3時半)に起こったケネディ大統領の暗殺のニュースであったことはよく知られている。

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