■酷暑の中でのスペインW杯
「テレビ時代」になって初めての欧州を離れてのワールドカップ。標高2000メートル前後の高原の5都市が舞台とはいえ、6月のメキシコは真夏である。サッカーは通常、夜間にしか行われていなかった。しかしテレビ放送の主要な受け手である欧州とメキシコでは時差が7ないし8時間ある。19時キックオフだと、「深夜」どころか、「未明」になってしまう。
そこで欧州放送連合(EBU)は「昼間」の試合を地元組織委員会に要望した。現在とは比較にならない少額とはいえ、放映権の主要な買い手は欧州である。組織委員会はこれを拒絶しきれず、基本的に16時キックオフ、大会中に4回ある日曜日の試合に限っては正午キックオフとしたのである。その結果、大会の全32試合中10試合が、天頂から照りつける太陽に焼き焦がされながら、ときに気温38度にもなる暑さに苦しめらながらの試合となった。
この大会はペレを中心としたブラジルが「ジョゴ・ボニート(ビューティフル・ゲーム)」で優勝を飾るのだが、ブラジルの技術がフルに生きたのは、メキシコの暑さのなかで欧州勢が走ることができなかったおかげでもあった。
テレビ中継の重要性は高まり、1978年大会以後はFIFAが自ら放映権販売を管理し、この大会以降は世界の公共放送連合(ワールド・コンソーシアム)と放映権契約を結ぶこととなった。日本でいえばNHKの放送となったのである。この契約は1998年のフランス大会まで更新されながら継続される。