レフェリーは、サッカーになくてはならない存在である。しかし、時には厳しい批判にさらされることもある。
しかも、一切の反論を許されずに。
サッカーの一部であるレフェリーとともに、いかに進歩していくべきか。サッカージャーナリスト・大住良之が一石を投じる。
■日本サッカー界で際立ったレフェリー
2002年からJリーグを担当してきた家本政明主審が今季限りで引退することを発表した。家本さんがプロレフェリーとなったのは、日本にこの制度ができてから4年目の2005年。以後、実に17シーズンの「プロ生活」ということになる。
1973年6月2日生まれ、48歳。家本さんが日本のトップクラスのレフェリーとなった時代のサッカーと現代のサッカーは大きく違う。スピードも個々の競り合いの激しさも比較にならない。そうした大きな変化のなか、変わらずに日本のトップクラスを守ってきたことは、並大抵の努力ではなかっただろう。心からその労をねぎらいたい。
きまじめな人が多い日本のレフェリーたちのなかで、笑顔を絶やさず、明るさを振りまく家本さんの存在は際だったものだった。もちろん、試合後に判定についての話を聞くことなどできなかったが、プロ審判とメディアの懇親会などの場で話すと、非常にフランクで、しかもものごとをしっかりと考えて自分の言葉で話す人だと感心した。今回のコラムのテーマである「レフェリーの試合後会見」があったら、最も人気が出たに違いない。