■「選手権」だった序盤のワールドカップ
1930年にウルグアイで開催された第1回ワールドカップは、開催決定から大会開幕まで14カ月間しか時間がなかったが、必要なものは全部そろえた。大会ポスターもそのひとつである。大会告知のポスターは1896年の第1回オリンピックでも制作されているから、当時すでに人を集める大会には不可欠なものだった。デザイナーのギジェルモ・ラボルデが制作したのは、かなり縦長のもので、GKがゴールの上隅に飛んできたシュートをセーブするところが描かれている。
GKの腰のあたりを貫くように赤い長方形が描かれているのは、数字の「1」を意味し、そのすぐ右の「er」という文字と合わせて「第1回」であることを示している。だが実際のところ、当時のFIFA会長ジュール・リメの熱意で実現したワールドカップだったものの、2回目以降が実際に行われるのか、第1回大会が終わるまで、誰も確信をもてる者はいなかった。大会経費の問題だけでなく、欧州と南米間の移動(船による往復だった)や、各国の国内大会との調整など、船出したばかりのワールドカップには課題が山積していたからだ。
だが、第1回大会が国際的な関心のうえでも大会収支のうえでも大きな成功に終わると、以後は4年おきに(第二次世界大戦期間を除き)続けられていくことになる。ただ、ポスター上では、次の大会から2大会は「第○回」と書かれることはなく、復活するのは1950年にブラジルで開催された「第4回大会」である。
ちなみに、第1回大会のポスターには、「CAMPEONATO MUNDIAL DE FOOTBALL」と大会名が表記されている。英語では第1回大会から「WORLD CUP」なのだが、当時は、「カップなら1回戦からノックアウト方式だろう」と反対意見も多く、スペイン語の「CAMPEONATO」や、第2回大会ではイタリア語で「CAMPIONATO」と、「選手権」に当たる言葉が使われていた。リメのお膝元のフランスで行われた第3回大会では「COUPE DU MONDE(英訳するとWORLD CUP)」が使われるが、その後は「選手権」に戻り、20世紀の間は開催国で通常使われている表現に任されていたのがわかる。