大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第75回「看板に偽りなし?」(2)トヨタカップで経験した「絶大な恩恵」の画像
さまざまな広告看板に囲まれて開催される現代のプロサッカー。Jリーグでは、主要試合にデジタルの電光型広告看板が投入されている。(c)Y.Osumi
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 サッカーは無数のディテールであふれている。重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は「ピッチの額縁」とも言えるスタジアムを彩る存在の話。現在ではプロの試合とはわかちがたく結びついた、ずらりと並んだ看板についての意外な事実をサッカージャーナリスト大住良之が語る。
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 「額縁」のようにピッチを囲む広告看板は、試合の主催者やホームクラブにそれまでにない巨額の収入をもたらした。契約者からの視聴料で運営し、一切CMを入れないNHKに広告を流すことができるということを想像してみてほしい。看板1枚が何百万円でもその「訴求効果」を考えれば高くはないと思い込ませるのが広告代理店であり、その思惑どおり、サッカーの盛んな国では、「ピッチ回り広告」は飛ぶように売れるようになった。

 ワールドカップでは、1978年のアルゼンチン大会までは、ピッチ周囲の広告看板はホスト国の組織委員会の権利だった。開催国が国内の主要企業に販売していた。しかし1982年ワールドカップを前に国際サッカー連盟(FIFA)は方針を変える。ピッチ周囲の広告の権利をFIFAのものとし、それまでの常識をはるかに上回る「1社30億円(と、当時私は聞いた)」という高額で世界に販売したのだ。

 これに応じたのが、すでに1976年からFIFAの「育成プログラム」(サッカー「後進地域」でのコーチや審判の養成事業、そして現在のFIFA U-20ワールドカップにつながるワールドユース大会の創設など)にスポンサードしていた「コカコーラ」をはじめとした9社だった。そのなかには、富士フイルム、JVC、キヤノン、そしてセイコーと、日本企業が4社も含まれていた。

■中国企業の台頭

 FIFAとワールドカップの財政構造は、このスポンサー契約で劇的に変わった。それまではテレビ放映権収入(1998年大会までは、1大会100億円程度だった)と入場料収入が「2本柱」だったのが、新たに300億円規模のスポンサー料が転がり込んできたからだ。ちなみに、財政構造の次の劇的な変化は2002年大会で、このときテレビ放映権料が約10倍の1000億円規模となり、FIFAは気前よく入場料収入をすべてホスト国の組織委員会に引き渡した。

 ワールドカップの公式スポンサー(現在では「FIFAパートナー」と「ワールドカップ・スポンサー」の2カテゴリーに分かれている)の遷り変わりを見ると、世界の経済情勢がよくわかる。日本企業は、1986年大会までは上記の4社だったが、1990年から1998年にかけてはセイコーが退いて3社になり、地元開催の2002年大会では1大会限りのNTTを含めて5社となったものの、2006年大会では富士フイルムと東芝の2社だけになった。そして2010年と2014年に日本から唯一の大会公式スポンサーとなったソニーが退くと、2018年ロシア大会ではゼロとなった。

 それに代わって台頭したのが、もちろん、中国企業である。2018年大会では、「FIFAパートナー」に「万達(ワンダ)グループ」が、そして「ワールドカップ・スポンサー」に「海信(ハイセンス)グループ」がはいり、2022年カタール大会も継続している。そのほかにも中国企業が大小のスポンサーとなり、2018年のロシア大会は、こうしたスポンサーから招待された中国人ツアーであふれ返った。

 ちなみに、1982年大会から2020年大会まで38年間にわたってFIFAのトップスポンサーの地位を保ち続けている企業がたったひとつだけある。もちろん、「コカコーラ」である。

■すべては「広告看板」のおかげ

 ワールドカップはともかく、1980年代に一般化したピッチ周囲の広告看板は、実はこの私にも大きなメリットをもたらした。私が『サッカー・マガジン』の編集から退き、フリーランスになるまでの間、1982年から1987年までかかわったトヨタカップの取材である。この取材で、私は欧州と南米のチャンピオンクラブの取材に連年行かせてもらったが、南米の取材に「広告看板」が大きく寄与していたのである。

 欧州には直行便で半日もあれば行けるし、便数も多いので、安価なチケットを探すことは不可能ではなかった。しかし南米に行くとなると、丸一日かかるだけでなく、航空運賃も馬鹿にならない。そこで卓抜なアイデアが出された。航空会社とのバーター契約である。当時日本とブラジル(リオデジャネイロ)の間に週7便(毎日である)飛ばしていたブラジルのヴァリグ(ブラジルでは「ヴァリギ」と発音する)航空との交渉で、トヨタカップの試合会場に小さめの広告看板を1枚掲出する代わりに、何人かが日本と南米を往復する航空券を提供してもらうことにしたのである。

 総額にして500万円ほどの契約だったと思う。航空券はビジネスクラスである。私もドイツ在住のカメラマン、カイ・サワベ氏も、おかげで、南米までゆっくり眠って移動することができた。ときには、ヴァリグの日本支社の計らいで、東京からの便では、ファーストクラスに空きがあればアップグレードしてくれた。当時の私は30代半ばの若造である。それがブラジルでの映画祭に出かける映画の巨匠・大島渚監督ご夫婦と隣になるという貴重な体験もした。すべては「広告看板」のおかげだった。

■トヨタカップは、日本のサッカーにおける「ピッチ周囲広告看板」の見本市

 1981年2月に第1回大会が開催されたトヨタカップは、日本のサッカーにおける「ピッチ周囲広告看板」の見本市のようなものだった。初期にはただの平面に大きくFIFAの公式スポンサーのロゴマークなどが書かれた「固定式広告看板」だったが、やがて「アナログ回転式3面ボード」(これは私がつけた名称で、まったく別の正式名称があるかもしれない)が出現する。

 一辺10センチほど、広告パネルの幅いっぱいの長さをもつ「正三角柱」を、10段ほど横に並べる。三角柱の各側面には広告を横に10等分したものが貼りつけられている。各三角柱の中心に軸を入れ、10段のタイミングを合わせてそれぞれをくるっと120度回すと、あら不思議、まったく別の広告が現れるのである。そしてまた120度回転すると3つ目の広告が現れ、さらに120度回転すると、最初の広告に戻る。

 ピッチの周囲に並べられる広告看板の数には限りがある。しかしこの「アナログ回転式3面ボード」を使うと、掲出できる広告は一挙に3倍になる。しかもボールが近くにきたタイミングでくるっと回すと、動きがあるので、より目立つようになる。残念だったのは、欲を出して4面式にすると、当然のことながら、まったく回らなくなることだった。

 だがその悩みも長くはなかった。「ロールスクリーン式広告看板」の登場である。広告看板の幅いっぱいの幅のロール状の布に広告を印刷し、モーターでクルクルと回しながら順次掲出していく。かつてのバスや電車の「行き先表示板」形式と言ったら想像できるだろうか。これによって、掲出できる広告はさらに数倍になった。

 

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