王国と言えばブラジル、母国と言えばイングランドなのは、サッカーファンの常識だ。そこから一歩、サッカーの奥の細道に足を踏み入れると、スコットランドがその存在感をググッと増してくる。母国と同様に、あるいはそれ以上に、中世からフットボールが盛んにプレーされていた。そして、同国の足跡がサッカー史のあちこちに深く刻み込まれていることに気づくのである。サッカージャーナリスト・後藤健生がサッカーの源流を紐解く。
■世界サッカー史に果たした重要な役割
古橋亨梧がセルティックに移籍してブレークしたおかげで、久しぶりに日本でもスコットランド・サッカーに注目が集まっている。先日は、大住良之さんが「古橋亨梧選手のために、セルティックについて知っておくべき8つの事柄」という記事でセルティックのことについて紹介してくれた。
セルティックというクラブが単なるサッカークラブなのではなく、スコットランド最大の都市グラスゴーで働くアイルランド系労働者階級のクラブだったという背景がよく理解できた(アメリカのプロ・バスケットボールのNBAにも「セルティックス」というチームがある。アイルランド系移民が多いマサチューセッツ州の州都ボストンのクラブだ)。
そこで、今回はより広い視点でスコットランドのサッカーについてご紹介したい。
スコットランドは最近はすっかり弱体化してしまい、ワールドカップに出場することもなくなってしまった。だが、1974年の西ドイツ大会から1990年イタリア大会まで、スコットランドは5大会連続で出場し、すべてグループリーグ(一次リーグ)で敗退してしまったもののいつも清々しい戦いを見せてくれていた。
だが、実はスコットランドは世界のサッカー史の中でとても重要な役割を果たした“国”なのだ。つまり、パス・サッカーを“発明”したのがスコットランドだったのである。
世界の中でパス・サッカーを発達させた国々と言えばハンガリー、オーストリア、チェコといった中欧諸国やアルゼンチンなどが思い浮かぶが、そうした国のサッカー・スタイルの源流を求めれば行きつくのは必ずスコットランドなのだ。