■82年スペインでアルディレスの「1」は輝いた
その4年後、地元で開催されたワールドカップで、アルゼンチンは、こんどこそ正真正銘の「アルファベット順」を採用する。1番はリバープレートの人気ナンバーワンMFノルベルト・アロンソ、正GKのウバルド・フィジョールは5番だった。10番はこの大会で得点王、MVPになったマリオ・ケンペスがつけていたが、それは偶然のことだった。1974年大会のオランダのヘールスはピッチに立つことはなかったが、アロンソは開幕のハンガリー戦を皮切りに3試合で交代出場を果たした。
ワールドカップにおいて背番号1をつけ、最も輝かしいプレーを見せたフィールドプレーヤーは、続く1982年スペイン大会、アルゼンチンのMFオスバルド・アルディレスである。清水エスパルスなどの監督としてJリーグでもおなじみのアルディレスは、アルゼンチン代表の「ABC順背番号」のポリシーに従って背番号1をつけてこの大会の5試合、450分間をフルにプレーし、高い技術とインテリジェンスにあふれたプレーでアルゼンチンの中盤を支えた。ちなみに、1978年大会の彼の背番号は2番だった。
だがこの大会のアルゼンチンも、1974年大会のオランダのようにひとりだけ「特例」を認めていた。マラドーナである。ABC順なら12番になるはずだった21歳のマラドーナだが、10番以外つける気はなかったようだ。本来10番のはずだったパトリシオ・エルナンデスと入れ替わって10番を与えられた。
アルゼンチンは1986年メキシコ大会まで「ABC順」のポリシーを保ち、この大会ではセルヒオ・アルミロンが1番をつけた。しかしこのときはマラドーナ(10番)だけでなく、ダニエル・パサレラ(6番)、ホルヘ・バルダーノ(11番)と、3人もの特例を認めてしまったためか、1990年大会以降は普通の番号づけに戻している。
1986年大会のアルミロンはピッチに立つことがなく、ワールドカップで背番号1をつけてプレーしたフィールドプレーヤーは、アルディレスが最後となった。