大住良之の「この世界のコーナーエリアから」連載第72回「背番号の物語・完結編」(1)Jリーグに採用された背番号「1から11」の理由は「カズ」?の画像
54歳になったカズは現在も横浜FCで「背番号11」を背負う 撮影/中地拓也

カズといえば「11」番が代名詞。ところが1990年、ブラジルに渡ってサントスFCでプレーしていた三浦知良は、読売クラブ(現在の東京ヴェルディ)に移籍して、背番号「24」をつけて1年間、日本サッカーリーグでプレーすることになった。そして、これにがまんできない男がいた。1982年ワールドカップ・スペイン大会で、アルゼンチンのテクニシャンにして頭脳派としても知られるMFオズバルド・アルディレスは、フィールドプレーヤーながら背番号「1」をつけてプレーした——。サッカージャーナリスト・大住良之の「知れば知るほど奥深い」背番号の物語の完結編。

Jリーグの先発選手は「1番」から「11番」

「先発選手の背番号を1から11にすべきだ」

 Jリーグが始まる前、私はひとつの提案をした。

 Jリーグに先立つ日本サッカーリーグ(JSL)では、背番号は「固定制」だった。1960年代の日本のサッカーでは、背番号はポジション名と同義語だった。WMシステムでは個々に明確なポジション名が略称(ライトバック=RB)などとともにあった。1960年代に急速に広まった4−2−4システムでは多少のばらつきはあったものの、ほぼポジションごとに決まった番号をつけていた。

 しかし日本リーグでは、1965年のスタートの年から選手は決められた背番号をシーズンを通じて付けることにした。JSLの運営に当たっていた日本サッカー協会事務局の中野登美雄さんと佐藤政孝さんが、ジャーナリストの牛木素吉郎さんとともに編んだ「日本サッカー・リーグ小事典」(『JSL年鑑』の1975年版から掲載)によれば、「プログラムにのっている番号でみれば、すぐ分かるわけだ」という理由による。

「フルバック」(サイドバック)として日本代表で活躍していた古河電工の宮本征勝さんは、背番号8をつけてプレーし、「エイトマン」と呼ばれた。1960年代に日本全国の少年たちを熱狂させたテレビアニメのヒーローの名前である。ちなみに、このチームのゲームメーカーだった八重樫茂生さんは16をつけた。当時の日本で「背番号16」と言えば、プロ野球のジャイアンツで「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治さんである。

  1. 1
  2. 2
  3. 3