■三浦カズが「24」をつけるなんて
JSLの「固定背番号制」は、世界のサッカー界に例があったわけではなく、いわば時代を30年以上も先取りしたものだった。アイデアは、プロ野球をヒントにしたものだった。JSLは当然アマチュアリーグだったが、観客数を増やすには選手を覚えてもらわなければならない。たとえば八重樫選手の名人級のゲームメークを楽しみにしているファンが、ある試合では8番をつけ、別の試合では10番をつけているのでは混乱する。だからポジションには無関係にして、個人の番号としたのだ。
しかし私はカズ(三浦知良)が「24番」をつけてプレーしなければならないというような事態にがまんができなかった。1990年、ブラジルのサントスFCでプレーしていたカズが帰国し、読売クラブで登録された。おそらく、チームの背番号が決まり、ユニホームが発注された後に契約がまとまったためだろう、カズの背番号は24と発表された。そして1シーズン、彼はその番号のままプレーした。22試合中18試合に出場しながら3得点しかできなかった理由のひとつが、背中が重かったことにあるのではないかと思ったほどだ。
ちなみに、この年の読売クラブの背番号11は武田修宏だった。翌1991/92シーズン、武田には9が与えられ、カズは背番号11となった。カズは日本代表を牽引する選手となり、「背番号11」とともにJリーグの熱狂を牽引する時代の寵児となった。
1990年代のはじめ、欧州のトップリーグでは先発する選手が1番から11番をつけるという形が常識だった。当時固定番号制を採用していたのは、オランダ、フランスなど、どちらかといえば「弱小リーグ」ばかりだった。1970年に固定番号制を始めたオランダのアヤックスで「背番号14」を世界にとどろかせたヨハン・クライフは、1973年にスペインのバルセロナに移ったとき、その番号をつけることを許されず、仕方がなく背番号9でプレーした。
冒頭の私の提案は、そうした世界の常識の「虎の威」を借りたものでもあったためか、驚いたことに(自分で提案したのに採用されて驚くのは、そうしたことが滅多にないからだ)、Jリーグで採用されてしまった。