後藤健生の「蹴球放浪記」連載第64回「ソ連が建設した無駄に巨大な空港ターミナル」の巻(2)空港なのに英語が通じない!?の画像
カザフスタンの高原にて 提供/後藤健生
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 1997年のフランス・ワールドカップ最終予選。試合後に加茂周監督が更迭されたアルマトイでのカザフスタン戦と、コーチから昇格した岡田武史監督の初戦となったタシケントでのウズベキスタン戦との間の1週間の有効活用に、山中にある巨大湖のイシククルを見にキルギスを訪れたベテランジャーナリスト。無事に目的を遂げてすっかり満足すると、日本サッカー史に残る1戦を目撃するためにタシケントへと向かうのだった。

■巨大空港で、英語が全く通用しない!

 空港内に入って、さらにびっくり。チェックインカウンターが緑がかった石で造られた、他の空港では見たこともないような豪華で巨大なものだったからです。

 マナス空港が完成したのは1974年。つまり、ソ連時代のことでした。
 当時のソ連は超大国の一つとしてアメリカと対峙し、共産党の支配が揺るぎない時代、レオニード・ブレジネフ書記長の時代でした。むしろ、アメリカの方がベトナム戦争で挫折を味わい、ウォーターゲート事件でリチャード・ニクソン大統領が辞任するなど大きく揺らいでいたのです。

 そのソ連という社会主義国では「計画経済」といって経済政策はすべて国が管理しており、「費用対効果」を無視したような記念碑的建造物がたくさん造られていました。便数の少ないビシュケク(フルンゼ)にこんな大きなターミナルビルが造られてしまったのも、きっとそのせいでしょう。

 しかし、その豪華で巨大なチェックインカウンターには係員も乗客も、誰もいませんでした。なにしろ、ターミナル全体が閑散としているのです。時々アナウンスもありますが、キルギス語とロシア語だけで英語のアナウンスはまったくありません。

「さて、チェックインしたいんじゃが、どげんしたらよかとね?」とウロウロしているうちにだんだん出発時刻が近づいてきました。

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