恋人よ、人はなぜ、まだ見ぬ地への憧れを抱くのであろうか。――こんなことをつぶやいているかどうかは知らないが、今日もまた放浪するサッカージャーナリストは、サッカー観戦にかこつけてはせっせと世界地図の未踏の地を塗りつぶしにあちこちのスタジアムへと出かけていくのであった。
■キルギスのホテルで昭和にワープ
日本代表はワールドカップ2次予選最後のキルギス戦も5対1で大勝。8戦全勝で最終予選進出を決めました。キルギス戦はタジキスタン戦と似たようなメンバーでしたが、中盤に守田英正が入ったことでゲームが引き締まり、セルビア戦後半に登場して好プレーをしたオナイウ阿道がハットトリックを達成。森保一監督は、最終予選に向けてまた一つオプションを増やすことに成功しました。一方、キルギス代表は3位になって、アジアカップ最終予選に回ることになりました。
さて、キルギスの選手の多くはモンゴル系のキルギス民族でしたが、監督はロシア人のアレクサンデル・クレスティニン、左のウィングバックをしていた6番のアレクサンドル・ミシチェンコは名前を見るとウクライナ系のようですし、79分に交代出場したMFのエドガー・ベルンハルトはドイツ系の名前。いかにも旧ソ連の中央アジア諸国らしい民族構成です。
強権主義的な政権の多い中央アジア諸国の中では比較的自由があるキルギスには、中央アジア各国出身のさまざまな人種の人たちが集まっていると聞いたことがあります。もっとも、ミシチェンコやベルンハルトが実際にどういう出自の人かは、僕は知りません。あくまでも一般論です。
ちなみに、中央アジアにドイツ系が多いのは第2次世界大戦中にソ連の独裁者スターリンが、ソ連西部に住んでいたドイツ系の民族がナチスに協力するのを恐れて中央アジアに強制移住させたからです。同様に、対日協力が疑われた朝鮮系の人々もやはり中央アジア諸国に強制移住させられました。
僕が初めてキルギスに行ったのは、1997年のフランス・ワールドカップ最終予選の時のことでした。
10月4日のカザフスタン戦で、日本代表は終了間際に追い付かれて1対1の引き分けに終わり、その夜、日本サッカー協会は加茂周監督を解任。岡田武史コーチが監督に昇格しました。次の試合は1週間後10月11日のウズベキスタン戦です(第61回「手作りのビザと取材許可証」の巻参照)。