■日本伝来は、まず「フットボール」から
日本人に最初に「フットボール」を教えたのは、東京・築地の海軍伝習所で講師を務めていたイギリス海軍のアーチボルド・ダグラス少佐である。1873年から74年(明治6~7年)にかけての冬のことだった。その後、1885年(明治18年に)「体育伝習所」(筑波大学の前身のひとつ)の教師だった坪井玄道が『戸外遊戯法』を著し、他の競技とともに初めてサッカーを日本語で紹介した。しかし「soccer」という言葉自体が英国で現れる前のことであり、「フートボール(蹴鞠の一種)」と紹介されている。
「フットボール」を直訳すれば「足球」だろう。中国語ではずばり「足球」である。しかしなぜか日本では「蹴球(しゅうきゅう)」と訳された。「蹴鞠(けまり)」は「しゅうきく」とも読む。もしかしたら、同じように主に足でボールをける競技ながら、けまりとは大きく違うので、「鞠」を「球」にしたのかもしれない。
1921年(大正10年)に日本にサッカーを統括する団体ができたとき、その名称は「大日本蹴球協会」とされた。略称はこのころから「JFA」である。そしてめでたくことし、創立百周年を迎える。