■プレーを満喫できたのはサッカー専用だったから
釜本の先制点は、GKからのパスを受けて中央突破、ゴールまで30メートルの距離から思い切り左足を振り抜いて叩き込んだものだった。北側(スコアボード側)のゴール裏スタンドに陣取っていたファンは、うなりを上げて飛んでくる釜本のシュートに、思わずのけぞった。ピッチとの距離が近いため満員の観客がはいっていても選手たちの声や息づかいまで聞こえ、迫力満点の試合にファンは酔った。
後半、あっという間に2失点し、0−3と差を広げられると、東軍の選手たちの闘志に火がついた。FWの杉山隆一(当時31歳)が同じFWの永井良和(当時20歳)に叱咤の声をかけると、スタンドが大きく沸いた。
私に強い印象を残しているのが、翌1973年の秋の、ある試合だ。前年に藤和不動産(現在の湘南ベルマーレ)にはいってセンセーションとなったセルジオ越後は、この年、大阪商業大学から加入した名MF古前田充を得てさらに輝かしいプレーを見せていた。西が丘で行われたその試合の後半、セルジオが私の目の前、メインスタンド側のタッチライン(藤和にとっては左タッチライン)際でボールをもち、マークする相手と対峙する……。
古前田は、セルジオの真横、やや右サイドよりのポジションをとっていた。そしてセルジオがボールをもつと、古前田は、声を出すでもなく、右手を頭上に上げてひらひらと振った。その瞬間、セルジオは右足で小さくワンステップを踏んで左足を振り、40メートル離れた古前田の足元に寸分の狂いもなくボールを落としたのである。古前田はボールを見る必要もなかった。右足のインサイドに、セルジオのけったボールが勝手に吸い付いてきて、顔を上げたままの古前田は前線の選手たちの動きを見ていた。
このプレーのすごさを体感できたのは、まさに西が丘だったからだ。私は、前から2列目に座り、セルジオとほぼ同じ高さでプレーを見ることができていた。だからこそ、ボールをもち、相手と対峙した状況でのセルジオの驚異的な視野の広さと、瞬間的な判断、そしてキック技術の高さを実感することができたのだ。