大住良之の「この世界のコーナーエリアから」連載第58回「サッカースタジアムの力」(1) 西が丘で見たセルジオ越後の驚異的なパスの画像
2018年ワールドカップ・ロシア大会の決勝戦の舞台となったモスクワの「ルジニキ・スタジアム」。かつてはレーニン・スタジアムと呼ばれ、1980年のモスクワ・オリンピックの主会場となった陸上競技場だったが、その荘厳な外装を残しつつ、2014年から大改装して近代的なサッカー専用スタジアムに生まれ変わった。 提供/大住良之

その国のサッカーを育むものは何か——。そこに素敵なスタジアムの存在が大きな役割を果たすことに、議論の余地はない。ファンやサポーターはスタジムとともに育ち、歌と声援によって選手やチームを強化し、クラブを発展させる。それはリーグ全体の発展に寄与することとなり、ひいてはサッカー国力の向上にもおおいに貢献するのである。良いスタジアムの効用はかくも大きい。今回は、日本サッカーの強化の一翼を担うサッカー専用スタジアムについて——。

■観客スタンドがピッチに近い競技場

 今回の話は、横浜F・マリノスFC東京、そして川崎フロンターレのファン・サポーターを多少不愉快な思いにしてしまうのではないかと心配している。いや、3クラブだけではない。現在のJリーグ・クラブ57のうち、実に30クラブのファン・サポーターを敵に回してしまうかもしれない。陸上競技型のスタジアムが、いかにサッカーの観戦に向いていないかという話だからだ。

 1972年、東京の北区、赤羽からそう遠くないところに「西が丘サッカー場」が誕生した。当時、私は大学3年生だった。最寄り駅は、都営地下鉄「6号線(現三田線)」の本蓮沼(もとはすぬま)。巣鴨から高島平まで走っていた6号線がこの年の6月に日比谷まで延びたおかげで、都心からのアクセスも抜群だった。

 1971年4月に起工式が行われ、わずか15カ月で竣工。将来的に3万人規模のスタジアムにできるよう、チーム更衣室や本部などの諸施設は南側のゴール裏スタンド下に集められ、他の3方のスタンドは土盛りの上にコンクリートで段々をつけるという形となった。そしてやや異例と言っていいこの形が、西が丘をサッカーの魅力をフルに楽しませるスタジアムにすることになる。

 西が丘は、メインもバックも観客席の最下部はグラウンドと同じレベルにあり、タッチラインからわずか数メートルの距離で試合を楽しむことができる。南側のゴール裏に設けられた本部などの諸施設は、ピッチレベルから1.5メートルほど掘り下げられてつくられており、その上に置かれた観客席も十分ピッチに近かった。

 興味深いことに、「西が丘サッカー場」の「こけら落とし」はサッカーの試合ではなかった。7月26日、ホッケーの日本対スペインの国際試合だった。だが1カ月後の8月25日、待望のサッカーの試合が行われる。日本サッカーリーグ(JSL)の東西対抗、オールスター戦だ。午後7時キックオフ。待望のサッカー専用競技場での初試合。満員の1万人の観客が見守るなか、前半終了間際に西軍のFW釜本邦茂が先制点を決めた。後半は点の取り合いとなり、西軍が4−2で東軍を下した。

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