■短命だったワープロ時代
このころ、原稿の受け渡しという、編集者にとって非常に重要な仕事(と私は思う)がなくなった。フリーになったころには、ワープロで打ち出したプリントをファクスで送るのが普通になった。だがすぐに「パソコン通信」というものを使うようになり、編集部にメッセージとして送るようになったのである。
NIFTYというパソコン通信のサービスに入会し、まずは電話機からモジュラージャックを引き抜いてワープロに差し込み、ワープロの画面からアクセスポイントと呼ばれる番号にダイヤルする。「ダイヤルアップ」という方法である。電話と同じような着信音に続いて「ガー・ピー、ヒョロヒョロ」という受信音が流れると、接続され、そこでメッセージ送信ボタンを押して送信するのである。ファイル添付などできず、メッセージ本文にテキスト形式の原稿を流し込むという形だった。
国内であれば、NIFTYのアクセスポイントは全国にあったから、どこからでも、いわば「市内通話」で原稿を送ることができた。だがNIFTYは日本の会社であるから、国外に出ると、提携しているアメリカや英国の会社がもつアクセスポイント経由でつなぐことになる。1997年のワールカップ・アジア最終予選でUAEのアブダビに行ったとき、UAE国内にはNIFTYの提携会社のアクセスポイントがなかったため、オマーンにつながなければならなかった。隣国とはいえ、国際電話である。当時は、ホテルをチェックアウトする際の電話料金の明細を見るのが怖かった。
だがワープロの時代は短命で、すぐにパソコンとインターネットの時代となる。