■「ピッチの中で、この国を手助けできる。僕の第2の家、第2の国を」
——帰化して、わずか16日後(1997年9月28日)には、日本代表として、国立競技場でのワールドカップフランス大会アジア予選の韓国戦に出場しましたね。
「帰化するまでに10年間、すでに日本に住んでいたんだ。で、帰化した日からわずか10日で、日本代表に招集された。それで、僕の初戦となった韓国戦に向けた準備合宿のために、静岡に行ったんだけど、その幸せは本当に大きかったよ。達成感のようなものがあった。
日本のコミュニティに受け入れられるだけでも、すごく難しいことだから。閉じられたコミュニティだし、要求されるものも厳しい。いろいろと、伝統的な習慣もある。
そんな中で、僕は自分に大きな価値を置いてもらえたように感じてね。浜松の法務局が、僕に日本のパスポートを与えてくれたことを、すごく名誉に思った。
あの国立での試合に招集された時に考えたのは、僕もピッチの中で、この国を手助けできるんだということ。僕の第2の家、第2の国を。
というのも、僕が国立に行く時は、いつでも日本代表を応援するためだった。入場券を買ってね。日本がその試合に勝つことを願って。そして、日本がW杯に行ってくれることを願って。90年W杯の時も、94年W杯の時も。
だけど今回は、日本が僕にしてくれたことすべてに、これ以上ない形でお返しができる。日本語で言う“オンガエシ”だよ。日本をW杯に連れていくために、プレーし、戦うことで、恩返しができる。
だから、あの試合に招集されたことは、本当に大きな幸せだった」