■8大会連続で東欧諸国が金メダルを獲得
第二次世界大戦後、オリンピックのサッカーは奇妙な時代にはいる。オリンピックは厳格なアマチュアリズムの大会だったが、第二次世界大戦後に次々と誕生した東欧の共産圏諸国には「プロスポーツ」という制度がなかったため、代表選手としてサッカーで大金をかせいでいても「アマチュア」ということになっていた。そのため、東欧諸国からは最強のナショナルチームが出場する一方、プロがある国からはプロ契約前の若手が出るという形になってしまった。その結果、1952年ヘルシンキ大会から1980年モスクワ大会まで、8大会連続で東欧共産圏の国が優勝するという変則的な形となったのだ。
1974年にオリンピック憲章からアマチュア規定が削除され、1980年代、オリンピックはプロの時代になる。当初は「ワールドカップに出場した選手は除く」という規定があったため、強豪国では若手の代表が出場する大会となったが、1992年のバルセロナ大会以後は「23歳以下」の大会となり、1996年に「オーバーエージ3人」が加わって、以後、現在まで続いている。
実は「23歳以下」で落ち着くまで、サッカーの世界の統括団体である国際サッカー連盟(FIFA)とオリンピックの主催者である国際オリンピック委員会(IOC)の間で長期間の争いがあった。FIFAは自ら主催するワールドカップの価値を守るために23歳以下を主張し、IOCはサッカーをオリンピックの新しい「顔」にすべく、「最強チームでの大会」に固執したからだ。
アマチュアしか出られない時代にも、サッカーはオリンピックの「かせぎ頭」だった。サッカーはスタジアムが大きく、1大会32試合で入場者が100万人を超すことも珍しくなかった。FIFAの強みはそこにあり、「23歳以下でいやなら、オリンピックではサッカーは行わず、独自に23歳以下の世界選手権をつくる」と脅しをかけた。それにIOCが折れた形となった。