後藤健生の「蹴球放浪記」連載第42回「韓国釜山グルメツアー」の巻の画像
釜山アジア大会のADカード 提供:後藤健生
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サッカー観戦にとりつかれた男。1試合でも多くサッカーの試合を見たいというやむにやまれぬ思いにかられて、日本を飛び出して世界をほっつき歩いている人。というのが、衆目の一致する筆者像のはずだが、この連載を読んでいると、どうも、その本質は大酒呑みで食いしん坊、そっちが正しいように思える時がしょっちゅうある――。

■滞在先では達成困難なサブテーマを設定

 さて、居眠りしそうな運転技士様を励ましながらなんとか釜山(プサン)に到着したのは2002年9月28日の早朝のことでした(前回の『蹴球放浪記』を参照)。第14回アジア競技大会の取材です。サッカー競技は29日の開会式を前に27日に開幕。2年後のアテネオリンピック出場を目指すU-21日本代表はパレスチナとの第1戦に臨み、苦戦を強いられながらも田中達也と根本裕一のゴールで2対0と勝利しました。

 10月13日の決勝戦まで男女の試合が毎日のように開催されました。結局、山本昌邦監督率いる日本代表は決勝でイランに敗れて銀メダル。一方、女子の方は6チームの総当たりで争われ、日本は3位に終わりました。まだ、北朝鮮や中国に敵わない時代でした。

 ある試合の後、ベンチのそばのスペースで女子代表の上田栄治監督をはじめ選手の話を聞いてから出口のあるメインスタンドの方に歩いていたら、すぐそばを澤穂希さんが歩いていたので、世間話をしながら一緒にピッチを横切ったという楽しい思い出があります。澤さんは、直接の面識のない記者ともそんな雑談ができる知性的な女性でした。

 僕は決勝戦の翌日、10月14日の便で帰国しましたので、あの危険ドライブを体験した9月27日の夜を含めて合計17泊したことになります。

 ワールドカップでは滞在期間は5週間以上に及びます。しかし、ワールドカップやEUROなどでは毎日のように夜行列車や飛行機の移動があって、体力的にはきついのですが、毎日移動しながら毎日新しい街を訪れて観光もいっぱいできます。

 ところが、アジア大会は釜山という一都市での開催です。サッカーは蔚山(ウルサン)、馬山(マサン)、梁山(ヤンサン)、昌原(チャンウォン)でも行われましたが、いずれも釜山からは日帰り圏内。基本的にはスタジアムとホテルの往復の繰り返しです。

 滞在中、男女の日本代表戦を中心に合計で20試合を観戦したのですが、それにしても17日間同じ町でホテルとスタジアムを往復し続けるのでかなり単調な生活になってしまいます。

 そこで、そういう時には僕は試合観戦や原稿執筆以外に何かサブテーマを設けて生活することにするんです。

 1998年のバンコク・アジア大会の時は「タイ文字を読めるようにしよう」と思いましたが、これは完全に挫折しました。やはり、独学では難しすぎました。そこで、2007年のアジアカップでベトナムのハノイに滞在した時には先生を探してベトナム語個人レッスンを受けました。

 タクシーでスタジアムに行く時に「サンヴァンドップ・ミーディン(ミーディン・スタジアム)」とベトナム語で言えるようになった(だけ)というわけです。「サンヴァンドップ」は漢字表記をすると「場運動」。ベトナム語では、運動場は「場運動」、図書館は「館図書」という順序になるんです。

 さて、釜山での僕のサブテーマは何だったかというと、「17泊の滞在期間中同じものは絶対に食べない」でした。

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