サッカーという競技が変わろうとしている。暫定的に始められた「5人交代制」がサッカーを進化させつつある。90分にわたって衰えないプレー強度と衰えない運動量・スピードが競技に新たな魅力を与えた。さらに若いプレーヤーの出場機会を増やし成長を促している。この新たな制度を恒常化することを提案する――。
■ 長かった2人交代の時代
実は、1954年ワールドカップの予選では、いくつものチームで交代選手がプレーしている。しかしこのルールはこの予選だけに限ったものだったらしい。IFABが制定するサッカーのルール上で正式に交代が認められたのは1958年のことだった。ただしケガの場合に限られ、フィールドプレーヤーひとりと、GKひとりだけだった。
1965年に日本サッカーリーグが始まったときには、「後半戦が始まるまでに1人の交代を認める。ただしGKは負傷の場合はいつでも交代できる」とされていた。しかし2シーズン目の1966年には「GKおよび他1人、計2人、随時交代が認められる」と制限がゆるめられ、3シーズン目の1967年になって「随時選手2人の交代が認められる。ただし交代予定者5人を試合開始前にメンバー用紙に記入提出する」こととなった。この形は、Jリーグの初期の時代まで続く。
イングランドでは長い間負傷による選手交代しか認めていなかったが、リーズ・ユナイテッドを率いた「名将」ドン・レビーは試合を有利に運ぶための交代を思い付くと、ピッチ上の選手のひとりにケガしたように装えと命令したという。それがひんしゅくを買い、結局、イングランド・リーグでは、1967年のシーズン開幕に合わせて、理由のいかんを問わず交代を認めることにした。
1960年代は「選手交代の変動期」ともいうべき時代だった。1958年のルール改正にもかかわらず、ワールドカップでは1966年のイングランド大会まで交代が認められていなかった。この大会で3連覇を目指すブラジルに対し、対戦チームは「ペレをつぶす」という方針で臨んだ。ペレは初戦のブルガリア戦では見事なFKを決めて2-0の勝利に貢献したが、相手の悪質なファウルで負傷してハンガリー戦を欠場、勝たなければならない第3戦のポルトガル戦には無理を押して出場したが、やはりここでも負傷し、ブラジルはグループステージで敗退した。