■ロンドン・オリンピックの底力
出版社の能天気で無責任な態度で暗礁に乗り上げた形の「裏焼き問題」に新しい展開を与えたのは、思いがけない方面からだった。英国の写真家ピーター・ロビンソンである。
彼は英国屈指のスポーツカメラマンで、1974年に西ドイツで行われたワールドカップのときからの知り合いなのだが、後に彼はFIFAの公式カメラマンとなり、世界を舞台に活躍するようになる。親交が深まったのは1980年代、私がトヨタカップの仕事をするようになってからだった。彼が結婚した日本人女性は、仕事を通じての私の知り合いでもあったことから、親交はさらに進んだ。
9回のワールドカップを取材し、何冊もの素晴らしい写真集を出しているピーターだが、私が最も大きな感銘を受けたのは2006年に発行された『1966 UNCOVERD』という大型の書籍だった。彼と友人のブックデザイナーであるダグ・チーズマンが英国中の地方紙や通信社を回って1966年ワールドカップ時の写真をチェックし、当時は全国的には配信されなかったものを発掘して編んだ1冊は、大会中の選手たちの素顔だけでなく、1960年代にサッカーという競技が社会やファンといかにつながっていたかを示す信じ難い1冊である。
オリンピックの取材でロンドンに向かう前、彼からメールをもらった。今回は写真を撮らず、ウェンブリー・スタジアムでカメラマンたちをコントロールし、同時に助けるフォトマネージャーとして活動するという。それでは大会中に会おうと約束をした。彼は妻にも会いに自宅にきてくれと熱心に誘ってくれたが、残念ながら毎日の移動と原稿に追われ、その余裕はなかった。しかし佐々木則夫監督のなでしこジャパンと関塚隆監督率いる男子オリンピック代表がそろってウェンブリーでの準決勝に進んだことで、ようやく会うことができた。
驚いたのは、彼と組んでボランティアと同じユニホームを身にまとい、ウェンブリー・スタジアムで記者たちの世話をしていたのが、元FIFA広報部長だったキース・クーパーだったことだ。国際舞台での報道担当としてこれ以上のない2人の人材が、半ばボランティアとして現場仕事に当たっていたことに、ロンドン・オリンピックの「底力」を感じる思いがした。私は『東京新聞』に送っていたオリンピック・コラムの最終回にピーターを中心とした「プロフェッショナルが支えるオリンピック」というテーマの記事を書いた。写真は、ピーターと私の共通の親友であるカメラマンの今井恭司さんのご子息、今井秀幸さんが提供してくれた。
帰国して翌日に最初にした仕事が、その新聞記事を切り抜き、PDFにしてピーターに送ることだった。もちろん日本語だが、奥さんが読んでくれるので問題はない。「例の写真」をめぐる出版社とのやりとりはその後のことだった。数日してピーターからていねいな返信がきた。簡単な「返信の返信」を書きながら、暗礁に乗り上げてしまっている出版社とのやりとりをピーターはどう考えるだろうかと考えた。そこで、「イングランド・サッカーの最も有名な写真の1枚が裏焼きで印刷されてナショナル・フットボール・ミュージアムで販売されていたことに非常に大きな興味がある」と書き、それまでの出版社とのやりとりを添付した。
返信はすぐにきた。驚くべきものだった。そして物語は新しい展開にはいる。