世界的に有名なペレとムーアの写真をめぐる、壮大でなんとも不思議な物語だ。大住さんは1970年の秋に新宿紀伊国屋書店で、その写真の掲載された輸入雑誌を手に入れそこねている。最後の一冊をサッカーファンらしき清楚な女性にゆずってしまったのだ。ところが、40年以上が過ぎて、ロンドン・オリンピック取材で入手した念願の写真は……。
■サッカーの王様が最も大切に
何年もして、「あの写真」はいろいろなところで使われるようになる。書籍の表紙にも使われ、試合後の「ノーサイド」の精神を体現するフェアプレーのシンボルとなり、イングランド・サッカーのイメージアップに大きく貢献した。
ペレは、「あの写真」を「私のサッカー人生で最も大切な1枚」と語った。
「ボビーは私が対戦したなかで最もフェアなディフェンダーだった。とても頭が良く、鋭く私たちのプレーを読んだ。ハードにプレーし、しっかりマークし、しかも常にフェアだった。彼は私が知る最高の選手のひとりであり、間違いなく最高のディフェンダーだった。彼とシャツを交換したとき、私たちは、試合前よりずっと、互いに相手を尊敬していることを感じた。この1枚の写真は世界中に広まり、サッカーの素晴らしい宣伝になっている。私たちはサッカーが『スポーツ』であることを示した。勝っても負けても友情が生まれるのだということを、次の世代のプレーヤーたちにも引き継いでいかなければならない」
時代は1970年である。アメリカの激しい公民権運動は下火になり始めていたが、人種差別は世界のどこにもあった。同じメキシコで行われたオリンピックの陸上競技男子200メートルで優勝したトミー・スミスと銅メダルのジョン・カーロスが黒い手袋をはめたこぶしを突き上げ、人種差別に抗議したのは、このワールドカップのわずか2年前だった。ブロンドの髪をもったムーアとアフリカから連れてこられた奴隷の子孫であるペレが互いを称え、上半身裸になってユニホームを交換する姿には、スポーツを超えた意味さえあった。