■世界での経験が不足していた時代
アジア最終予選の最中にまったく突然監督に就任しながら見事ワールドカップ初出場に導いた岡田武史監督体制で臨んだ1998年フランス大会では3連敗。少なくとも最後のジャマイカ戦(1-2)は勝ち点を取るべき試合だったが、それまでの2戦、アルゼンチン戦とクロアチア戦(ともに0-1)で、もてる力をすべて出し切った結果だった。目標としていた「1次リーグ突破」が消滅した落胆がそのまま出てしまったジャマイカ戦以外は、岡田監督にとって悔いのない戦いだったはずだし、多くのファンも納得した。
「ホーム」で戦った2002年大会では、フィリップ・トルシエ監督の若い日本代表が躍動し、日本中を熱狂の渦に巻き込んだ。ベルギー戦でワールドカップ初勝ち点(2-2)、ロシア戦で初勝利(1-0)そしてチュニジアにも勝って(2-0)、グループ首位でラウンド16進出を果たしたのだ。だがここで選手たちが満足してしまい、雨中の宮城で行われたトルコ戦はいいところなく0-1で敗戦。選手たちの様子を見て刺激を与えるために攻撃陣を入れ替えたトルシエ監督は、大きな「バッシング」を浴びることになる。
だが、ここまでの日本代表は「ワールドカップ初心者」のようなものだった。2002年には中田英寿を筆頭に数人の選手が欧州のクラブでプレーしていたが、チームとしての「世界での経験」は微々たるものであり、「失敗」があったとしても経験のなさが原因であり、以後の4大会とはまったく違う時代であったことを理解しなければならない。
だがそれに続く4大会、2006年ドイツ大会、2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、そして2018年ロシア大会は、それまでの2大会とは違う「基準」で見なければならない。日本サッカー協会も選手たちもすでに「ワールドカップというもの」を十分に知り、中心選手の多くが欧州のクラブでプレーして日常的に「世界体験」をする時代になっていたからだ。もう「経験不足」は言い訳にはならない。