■J3時代は週3日、合計6回の“2部練習”
──大分の監督ということは、2001年のシーズンですね。5月途中に監督に就任しています。
「第3クールまでは通用したのですが、最終的には結果に結びつかなかったですね」
──翌年はフィジカルに鍛えられたチームでJ2優勝でのJ1優勝を果たしますが、現在の北九州のサッカーの源流が、そこまで遡るとは。
「我々がフィジカルを強化するにあたって、素走りを結構取り入れますけれど、ボールを使うと脈拍が落ちにくい。つまり、キツい。ボールを使って強度を保つトレーニングをしたいというのがあって、去年から2部練習をコツコツとやっています。
去年は水曜日の試合がなかったので、2部練習を週3日で合計6回、真夏も欠かさずにやっていきました。そういうこともあって、9月のアウェイの4連戦で4連勝しました。早く結果が出たと思われるかもしれませんが、地道な積み重ねもやっているのです」
──その4連勝でJ2昇格圏の2位へ浮上し、そのまま昇格へひた走りました。
「自分もFWだったので分かりますが、前から追いかけているのに後ろの選手がついてこないとイライラするものです。足が動くようになれば前からプレスをかけられるし、FWなら一度下がってブロックを作るより前からプレスをかけるほうが好きだと思う。そういうサッカーをJ3から実現できたのは、大きかったでしょうね」
小林伸二(こばやし・しんじ)
1960年8月24日、長崎県出身。1983年~90年、マツダSC(現サンフレッチェ広島)での選手生活を経て、指導者転身。1995年、サンフレッチェ広島ユースを率いてJユースカップ優勝。その後、若手選手の指導力を評価され福岡、大分のサテライト監督を歴任。2001年6月、大分のトップチームの監督に就任すると、翌年J2で優勝し、大分のJ1初昇格に貢献。2004年7月にセレッソ大阪監督に就任。2007年はアビスパ福岡のチーム統括グループ長に就任。2008年、モンテディオ山形の監督に就任し、クラブ史上初のJ1昇格を果たす。2012年、徳島ヴォルティスの監督に就任し翌年、クラブ史上初のJ1昇格を果たす。2016年、清水エスパルスの監督に就任し、1年でのJ1復帰に貢献する。2019年、ギラヴァンツ北九州の監督兼スポーツダイレクターに就任。1年でJ2昇格を成し遂げる。