内田篤人、引退会見での“心の名言”「奥さんは小中学校のときから、ボールを追いかける姿を見守ってくれていた」の画像
引退試合での内田篤人(2020年8月23日 カシマスタジアム)撮影・渡辺浩樹
全ての写真を見る

 8月23日、ガンバ大阪との引退試合に臨んだ内田篤人が、一夜明けた24日、オンラインで引退会見を行った。

 以下、引退に際してのレジェンド・内田の心に残る言葉を紹介したい。


Jリーグで印象に残っている試合は

「3連覇したときのアウェーの浦和戦。興梠(慎三)さんにクロスをあげた試合かと。思い出せば、もっと印象的なゲームはあると思うけど。あのときの11人、在籍していた選手はJ史上最強なんじゃないかと、個人的には思っています」

(※鹿島は内田が高卒2年目の07年から09年まで3連覇)

●ドイツ・ブンデスリーガで印象に残っている試合

チャンピオンズリーグベスト8を決めた試合。3点目のカウンターで、チームメートが走りだしたのを後ろから見たとき、スタジアム全体が揺れていたというか、あの瞬間、この試合をやるために僕はシャルケに入ったんだな、と思うほど印象的なシーンでした。

(2011年3月9日の対バレンシア戦。3-1で勝利)

●衝撃を受けた選手

「日本人は、黄金世代はすごかったと思います。(小笠原)満男さん、(中田)浩二さん、新井場(徹)さん、野沢(拓也)さん、本山(雅志)さん、マルキーニョスダニーロ、(大岩)剛さんも…全部になっちゃう。あのときの先輩方は衝撃でしたね。練習でついていけないシーンが多かった。外国人では、チームメートの(クラース・ヤン・)フンテラールとかラウール(・ゴンサレス)とか、(ジェフェルソン・)ファルファンとか」

●子どもたちに伝えたいこと

「プロになれないことがほとんどだけど、その中でなれる選手、なれない選手は何が違うか考えたとき、半分くらい運もあると思うけど、“自分努力しているな”と思ったら、違うのかなと思います。サッカーが好きで、延長線上にプロになっちゃったというのが自然かと。プロになるために努力するというより、サッカーが好きで続けていたらプロになれた、というほうがしっくりくる気がします」

●引退してやりたいことは

「幼稚園のお迎え。これからは手をつないで一緒に、幼稚園のお迎えができたら最高かなと思います。(先生になりたかったそうだが、という質問に)いや~、娘が、サッカーおしまいになって一緒に遊べるって喜んでいたので、大変かと思うので、やめておきます」

●妻について
「奥さんに関しては、小、中学校の時は昼休みにサッカーをしているのを丸太の上でよく見ていた。小さいときから僕がボールを追いかけているのを見守ってくれていたし、プロになっても、小さかった時と同じような顔で見てくれていた。“俺もう辞めるから”と話したら“ああ、そう”と。遅かれ早かれ来る話だと思っていたらしく、じゃあ何しようか、という話もした。僕は今、貯金をいくら持っているかも分かっていない状態なので、奥さんはそこらへんの心配は多少していたけど……なんとかなるでしょう」


 引退セレモニーで、2人の愛娘(※一部報道では男の子とあったが女の子とのこと)とピッチを歩き、家族への愛と感謝を伝えた内田。

 家族との時間を大切にしながらも、いつかまたサッカーにまつわる場所で出会えることを願ってやまない。
 

PHOTO GALLERY 全ての写真を見る