8月20日、日本のサッカー界を牽引してきた内田篤人の引退が発表された。同23日のホームG大阪戦(カシマスタジアム)がラストマッチになる。
鹿島で史上初の3冠達成、シャルケで欧州チャンピオンズリーグのベスト4入り、日本代表メンバーとしてW杯に2度の選出など、輝かしい実績を誇る。
その内田に、弊社が発行する『Football Bar』(フットボール・バル)で、かつて2万字インタビューを敢行。内田は何を考え、何を目指していたのか。2014年当時のインタビューからその思いを探る。
内田は、鹿島時代から一貫して右サイドバックとしてプレーしてきた。一時的にサイドハーフに入ることはあるものの、それは極めて稀なケース。サイドバックというと、上下運動を常に求められるポジションだが、内田が欧州で感じたサイドバック感とはどんなものか。インタビュー内で、こう語っている。
「左右の動きももっと増えてくればいいんですけどね。守備の面ではかなり意識はしていますよ。向こうの選手が上がってきたら、どう対応するか。センターサークルの近くまで食いついていくときもあるし。なんなら、逆サイドにまで行くときもありますけど。そういうのが、守備だけじゃなくて、攻撃でもね。上下だけじゃなくて、ピッチを横に動くという動きが増えてくると、もっといいかなって思ってますけどね」
守備と同時に攻撃も意識することが、内田らしい。
とりわけ、守備については「まずは1対1については常に意識してやってますけど……」と話す内田だが、その守備の局面にこそ、ヨーロッパとJリーグとの違いを感じるという。
「Jリーグがどうこうっていう話じゃないんですけど、Jリーグのハイライトなんかで見ていて、ヨーロッパと違うなって思うのは、ディフェンスがいちばん違うなって思っているんですよね。ゴールが決まっているシーンで、ディフェンダーがゴールに背を向けているだけ、とか。もちろん、ヨーロッパでも点が入るときは入るんだけど、ディフェンスがちゃんとギリギリまで足を伸ばしているんですよね。2メートルぐらい身体がある選手が足を伸ばして、それでも入っちゃうからそれはしょうがないと思うんだけど、ハイライトを見てると、『もっと寄せればいいのに』って思うことがあったりして。
だから、僕がシャルケに行って最初に思ったのは、満男さん(小笠原満男)は、やっぱりそういう面では違ってたんだなっていうこと。行ってから、そう思いましたね」
小笠原満男は、説明するまでもなく鹿島イズムを濃厚に持っていたプレイヤーだ。1979年生まれの小笠原に対して、内田が1988年生まれだから、9歳離れている。シャルケに移籍する以前、鹿島で2007年途中から2010年途中まで共にプレーしていた。ちなみに、シャルケから復帰したあとも一緒にプレーし、小笠原の引退をチームメートとして送り出した。