■「かくも望まれているトロフィー」
なにより、近年バルセロナのチャンピオンズリーグ獲得への義務感は増すばかりだった。
宿敵のレアル・マドリーがジネディーヌ・ジダン監督の下で3連覇を成し遂げた影響は少なくない。だが、いずれにせよ、メディアを含めチャンピオンズリーグへの期待を煽り過ぎてきた。昨季開幕前には、メッシの「非常に美しく、かくも望まれているトロフィー」という発言が大きく取り上げられた。それはあたかもバルセロニスタの合言葉のようになっていた。
メッシがビッグイヤー獲得を望んでいるのは確かだろう。だがクラブやメディアは彼の発言に「乗っかり過ぎる」べきではない。時には歯止めをかける。防波堤になる。そういったアクションが必要だ。それを怠れば、その機能性はまったく失われてしまうことになる。
原点に立ち返れば、1991-92シーズン、ヨハン・クライフ監督に率いられたバルセロナはチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)で決勝に勝ち進んだ。対戦相手はサンプドリアだった。初の欧州制覇を前に緊張感を高める選手たちに、クライフはこう言った。
「存分にプレーを楽しんで来い」
バルセロナはロナルド・クーマンの得点で勝利した。クライフの言葉は伝説になった。
ジョゼップ・グアルディオラ監督の「ペップ・チーム」にせよ、ルイス・エンリケの「MSN」にせよ、語弊を恐れずに言えば、チャンピオンズリーグで優勝したときのバルセロナはプレーを楽しんでいたように思う。現在、バルセロナのチャンピオンズリーグでの試合を見ていると、苦しそうにプレーしているように見える。タイトル獲得の義務感とプレッシャーに苛まれているのだ。
いま、バルセロナに足りないのは、まさにクライフ的な精神だ。楽しめば万事解決という単純な話ではない。ただ、「CLの呪縛」から解き放たれない限り、逆説的にビッグイヤー獲得は遠ざかってしまう。現に、この5年、そうなっている。