■ 田んぼのなかでごぼう抜き
「菜種梅雨」が始まったころに始まった「サッカーなし」の生活は、本物の「梅雨」になろうとするとき、ようやく終わりが見えてきた。「風」ほどではない。しかし「雨」も、サッカーに小さくない影響を与える。とくに「大雨」になったら……。
「きょうはトーキックだ!」
やけに張り切った声で、チームメートのひとりが言った。パワフルなプレーを身上とするDFである。
私が東京都3部リーグのチームでプレーしていた時代、サッカーグラウンドと言えば「土」と決まっていた。雨が降ればぬかるみ、雨脚が強まればすぐに水たまりができた。人工芝のグラウンドなどなかったし、まして、私たちのレベルでは芝生のグラウンドを使う機会などめったになかった。
その日は前夜からの大雨。グラウンドに行くとあちこちに大きな水たまりがあり、思わずうなってしまった。降り続く雨にずぶ濡れになるのはもちろん、シューズの底にはときに5センチもの厚さで泥が着いて信じ難いほど重くなり、スライディングタックルでもしようものなら、まるで頭から泥水をかぶったような状態になる。
しかし開き直るしかない。試合前、走っていって自ら水たまりのなかにスライディングし、「これでよ~し!」と帰ってくる者もいる。そして別の仲間は、「トーキック最強説」を声高に主張している。
そのとき、私が思い出していたのは、1960年代、高校時代のある試合だった。
その日は神奈川県の大会の何回戦かだった。前日からの雨で、会場の相模工大附属高校(現湘南工科大学附属高校)のグラウンドは田植えにちょうどと言っていい「泥沼」だった。私は「きょうはキックアンドラッシュしかない」と考えていた。私の1年先輩にはテクニシャンがそろっていたが、このコンディションではそのテクニックは生きないと思ったのだ。
だがひとりの先輩が思わぬことを言った。
「こういう日はドリブルだ」
エースのTさんが言うには、このコンディションでは守備の選手はターンがきかない。だからドリブルすれば何人でも抜けるという。
だが「どろんこグラウンド」でのドリブルはボールがひっかかって止まってしまう。このようなコンディションでは、大きくキックして前に進み、コントロールに苦しむ相手からボールを奪ってとにかく相手ゴール前にもっていくのが、サッカーの「定石」というものだ。
ばかだなお前は、と言うような顔をして、その先輩は言った。
「ボールの上を叩くから止まってしまうんだ。ボールの下に足先を入れて少し浮かせながらドリブルすれば、ただ走っていくのと同じだろ?」
試合が始まって驚いた。その先輩は、「田んぼ」のなかで本当にごぼう抜きのスピードドリブルを見せ、相手が手も足も出ないうちにハットトリックを演じてしまったのだ。
その後だいぶたってブラジルのサッカーを見るようになってから、彼らもまた、水たまりやどろんこのグラウンドで「ボールの下を切る」ドリブルを使うのを知った。ブラジルではスコールのような突然の強雨が多い。そのなかで培われた技術だったのだ。ラモス瑠偉も、雨中のドリブル突破を得意とした。大きな水たまりがあっても、彼はまるで走りながらリフティングするように小さくボールを浮かせ、次々と相手を抜いていった。
だが、こうしたドリブルは、日本ではいまもまだ「基本」ではないようだ。
2014年10月に浦和レッズが埼玉スタジアムに徳島ヴォルティスを迎えた試合は、Jリーグでも滅多に見ない「水中戦」となった。
ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が就任して3シーズン目、ショートパスで試合を支配し、スペースのないところにスペースをつくって相手守備を崩すサッカーの精度が上がり、浦和はこの時点で首位を独走していた。だが技術的アドバンテージは、「大型で非常に勢力の強い」台風18号が前ぶれのようにもたらした豪雨によってなきに等しくなっていた。
国内のスタジアムでも最高レベルの排水能力をもつ埼スタのピッチも、試合直前に1時間に数十ミリという雨が降ってはたまらない。至るところに大きな水たまりができ、きれいな芝面に見える場所もボールをけるたびに大きな水しぶきが上がった。
どんなチームを指揮してもかたくななまでに「理想のサッカー」を求め、試合結果よりもプレーの内容にこだわることで知られるペトロヴィッチ監督だが、さすがにこのコンディションではいつものサッカーができないとあきらめざるをえなかった。彼は、浦和に着任して初めて選手たちにこう指示した。
「ボールをもたず、大きくけれ」
「きょうのゲームは1人少ないと思え」
そうも言った。
浦和はいつもの1トップでなく最前線に興梠慎三とともにヘディングの強い李忠成を並べ、ポジションチェンジはほとんど行わずに、ひたすら90分間、この2人にロングボールをけり続けた。