オスカル・タバレス監督をご存じだろうか。長らくウルグアイ代表を率いている、世界のサッカー界に知れわたる名将だ。1987年の、この名監督との間であった、温かくも奇妙な交流を、大住さんは懐かしそうに振り返るのだった。
イタリア・サッカーの父
「ミスター!」
ワールドカップ優勝メンバーのひとりであるイタリア代表DFアントニオ・カブリーニが監督のジョバンニ・トラパットーニにそう呼び掛けるのが、妙におかしかった。
1980年代、私はトヨタカップに出場するチームの取材という望外の幸運に恵まれた。欧州と南米のトップクラブ。まさに「世界一」にチャレンジしようとしているクラブの数々を何年間もじっくり取材できたのは、その後、「フリーランスのサッカージャーナリスト」という世にも奇妙な肩書を背負うに当たって、大きな財産になった。
1985年、イタリアのユベントスを取材していると、カブリーニだけでなくフランス人の大スター、ミシェル・プラティニまで、すべての選手がトラパットーニを「ミスター(発音は「ミステル」のほうが近かった)」と呼ぶのに気づいた。
無知は強い。私はトラパットーニ監督自身に「なぜあなたはミスターと呼ばれるのか」とたずねた。一瞬、彼はあきれたような顔をしたが、はるばる日本から来た記者にていねいに説明してくれた。
「大昔にイタリアで何回もチャンピオンに導いた監督がイギリス人だったんだ。それ以来、イタリアではサッカーの監督を『ミスター』と呼ぶようになったんだよ」
20世紀前半にジェノアを率いたウィリアム・ガーバットという英国人監督がいた。イングランドでプロとして活躍した後、ケガのために30歳前に引退、造船所の工員としてイタリアの港町ジェノバに移住した。そして間もなく地元のクラブの監督となると、彼はトレーニングから試合方法まですべての面を改革し、ジェノアを本物の強豪に育て上げた。アマチュア然とした時代だったイタリアのサッカーにプロフェッショナルとしての「厳しさ」をもたらした彼は、「イタリア・サッカーの父」とまで呼ばれた。そして選手たちは敬愛の念をこめ、彼を「ミスター」と呼んだ。それがイタリア全体の伝統となったのだ。
「マエストロ!」
選手たちが監督にそう呼び掛けるのに出合ったのは、1987年11月、ウルグアイのペニャロールを取材したときだった。
一瞬、「巨匠」という言葉が浮かんだ。この国ではサッカーの監督を「マエストロ」と呼ぶ習慣でもあるのだろうかと、イタリアの「ミスター」が頭をよぎった。しかしこのころには、私にも「無知」を恥じる気持ちが少し生まれていたのだろう。そっと地元の記者に聞いた。
「タバレスはね、プロの監督になる前、小学校の先生だったんだよ」
答えはシンプルだった。スペイン語では「教師」は「maestro」。タバレスは、ニックネームとして、選手だけでなくスタッフからも「先生」と呼ばれていたのだ。
現役選手としてプレーしながら、彼はセロ、ラテハといったモンテビデオ西部の地区の小学校で教員をしていた。「教育」は、「サッカー」に負けない彼の情熱の対象だった。