ラグビー日本代表 写真:AFP/アフロ
ラグビー日本代表 写真:AFP/アフロ
 サッカー講釈師とは何奴か。日本代表サポーターならご存じであろう。ゴール裏の爆心地で、人一倍高らかに手拍子をたたき、大声を張り上げてチャントを唄い、時として、行きすぎなヤジをピッチに飛ばして目立ちまくっている壮年の男、なのである。そのサッカー狂が、昨年のラグビーワールドカップを幾試合も観戦したという。いかなる心境の変化があったのか。そして、そこで何を思ったか。

もう君が代は歌えない

 2019年10月26日、ラグビーワールドカップ準決勝、イングランド対ニュージーランド。

 掛け値なしの世界トップレベルのタイトルマッチ。両チームの入場、スタジアムは熱狂に包まれた。

 しかし。

 両国の国家が鳴り響いた時、私は何とも言えない寂しさを感じた。もう君が代は歌えない。もう、「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」もできない。私たちは先週の準々決勝で南アフリカに苦杯、大会を去っていたのだ。

 その後眼前で繰り広げられた両国の攻防は、なるほど世界最高峰のものだった。すさまじい肉弾戦、稠密な守備、高速のハンドリング、連覇しているニュージーランドを見事に押さえ攻勢をとるエディー・ジョーンズ氏配下のフットボールの母国の選手たち。すばらしい試合だった。

 しかし。

 どんなに質の高い戦いでも、もうあの興奮と感動は帰ってこない。心がえぐられるような寂しさを感じることで、改めてリーチマイケルとその仲間達に誇りを抱くことができた。

 何ともステキな空虚感だった。

 サッカー狂として、同じような空虚感は幾度か経験をしている。

 2002年宮城スタジアムでのトルコ戦の敗戦。ホスト国ゆえ、自分たちの冒険が終わった後も、大会は続く。続く準々決勝、長居のセネガル対トルコ戦、必ずやフィリップ率いる日本代表が登場すると信じて、苦労に苦労を重ねて入手したチケット、眼前で繰り広げられた延長まで続く攻防。おもしろい試合ではあったが、胸が張り裂けそうだった。

 2010年南アフリカ大会、あのPK戦の中澤佑二や遠藤保仁たちの涙。そして、その4日後、映像で見たパラグアイのスペインへの抵抗を見た際の悔しさ。

 そして一昨年。ロストフ・ナ・ドヌの衝撃から帰国した直後のベルギー対ブラジル。この場でセレソンと戦うのは俺たちだったのだと思うと、耐えられなかった。いや、負けたのですけれどね。この試合だけではない。続く準決勝、決勝、どの試合を見ても空虚感を抑えきれなかった。

 サッカーでも、ラグビーでも、今の私たちは世界一になる戦闘能力を持っていない。だから、ワールドカップとは、負けるための大会なのだ。言い換えれば、ワールドカップに臨む私たちの目標は、「いかに負けるか」となる。

 今大会のジャパンの負け方は、実に見事なものだった。そして、冒頭のイングランド対ニュージーランド戦の国歌斉唱。あの時感じた空虚感は、悔しくて悔しくてしかたがないのだが、本当にステキなものだった。一週間前に見事に負けることができたからだ。

 このステキな空虚感を、サッカー以外でも味わえるなんて。

 若干余談をはさむ。私の息子は子供の時から父親に強制され?サッカーをやっていた。しかし、高校入学時にラグビーに転向。大学でもラガーだった息子は、ワールドカップの約1年前に「選手優先ワールドカップチケット応募枠」を持っていた。これを利用しない手はない。かくして、息子は父親の経済的負担で愛するラグビーのチケットを大量入手。私は横に専用解説者をおいてジャパンをはじめとする好試合を堪能する機会を得た次第。以下は、サッカー狂の視点で楽しんだ、フットボールの兄弟ラグビーワールドカップの観戦記である。

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