■メンバーを固定して戦った理由
2019年11月から2020年1月にかけての一連の敗北の原因を一言で言えば、「チーム作りが進んでいないから」だった。
E-1選手権も、U-23選手権も目標とする大会ではなかった。森保監督の日本代表の最大の目標はワールドカップでの上位進出であり、次の目標が東京オリンピックのメダル獲得なのだ。また、たとえば2019年のアジアカップなどはそれに次ぐ価値のあるタイトルマッチだった。
つまり、今の段階でチーム作りが進んでいないのは、すべて森保監督の描いた工程表の通りなのだ。もし、AFC U-23選手権が日本にとってもオリンピック出場権がかかる大会だったとすれば、チーム作りの方法と工程表はまったく違っていたはずだ。だが、森保監督は最終目的であるカタール・ワールドカップの時点でのピークを目指すために、今はチーム作りを進めるよりも選手層を厚くすること(「ラージグループ」の形成)を何よりも優先しているのだ。
いわば、“確信犯”なのである。
しかし、森保監督は就任当初からいわゆる「ラージグループ」作りに専念していたわけではない。
2018年のロシア・ワールドカップで西野朗監督が率いた日本代表がラウンド16に進出し、ベルギーとの死闘を繰り広げた末に敗退。その後も西野監督が監督を続けるという選択肢もあった中で、森保監督が五輪代表(当時のU-21代表)監督と兼任の形でA代表監督の座を引き継いだ。
そして、森保監督の下で日本代表はコスタリカと対戦して3対0で快勝したのを皮切りに、2018年内の親善試合を4勝1分(得点15、失点4)という好成績で終えた。もう、ずいぶん昔の記憶のようにも感じるが、自ら積極的に仕掛ける堂安律、南野拓実、中島翔哉の2列目の3人にトップの大迫勇也を加えた「カルテット」が絶賛され、新時代の到来を告げたような思いにさせてくれた。
ただ、僕は疑問に思っていた。本来なら、新監督が就任してまず手を付けるべきことは「ラージグループ」の形成のはずだ。メンバーを固定して戦う森保監督の意図を訝った。
考えられる理由は2つあった。一つは、2列目の3人が監督の期待以上にうまく行きすぎて、変更することができなくなってしまったという理由。もしそれが真実だったとしたら、異常事態だ。今の時点でメンバーを固定してしまったら、それを4年間続けることなどまったく不可能だからだ(実際、あの3人の若手も、それぞれの原因で、現在、大きな壁に突き当たっている)。
もう一つ考えられた理由は、2019年1月にあるアジアカップのためだ。
アジアカップは、かつてはワールドカップとワールドカップの中間年(偶数年)に行われていたが、この大会が欧州選手権(EURO)や夏季オリンピックと競合するのを嫌ったAFCは、2007年大会(東南アジア共同開催)からワールドカップの次の年に行うことに変更してしまったのだ。しかも、2011年や19年大会の開催地が中東だったため、暑さを避けて開催時期は1月となった。
ワールドカップに出場した国にとっては、これは難しいスケジュールだ。ワールドカップが終わって新監督が就任した後、秋に数試合を戦っただけでアジアカップを戦わなくてはならないのだ。2019年大会では、日本と同様にロシア・ワールドカップの後で監督が交代した韓国も、オーストラリアも苦戦を強いられていた(イランのカルロス・ケイロス監督は、アジアカップ後に退任)。
そこで、森保監督はアジアカップまでは「ラージグループ」の形成を諦めて、メンバーを固定して戦ったのだ。
そして、アジアカップは、決勝のカタール戦は試合の入り方が甘く、一方的な敗戦に追いやられてしまったものの、日本代表は強豪イランを見事に撃破して決勝進出を果たした。
アジアカップ後、森保監督は僕の期待通り、「ラージグループ」の形成に手を付けた。しかも、森保監督はA代表とオリンピック・チームの2つの代表の兼任監督だったから、2つのチームで次々と新しい選手を招集して観察を続けた。
2019年6月に日本代表はコパ・アメリカに招待参加したが、日本にとっては招待大会だったので海外組を招集することができなかった。しかも、J1リーグも中断しなかったので国内組の招集についても制約を課せられたのだ。
すると、森保監督はそうした悪条件を逆手にとってA代表の国内組とU-22代表の混成チームのようなメンバーを招集した。最強チームではなく、完全に「ラージグループ」の形成のためのチームであり、現地でもそんなメンバーで参加した日本に対して批判の声があったという。しかし、そんな顔ぶれのチームだったが、日本代表は初戦のチリには大敗したものの、ウルグアイ、エクアドルのA代表相手に引き分けるという快挙を成し遂げたのだ。
その後、ワールドカップ二次予選では格下相手の試合でも海外組中心のレギュラー組主体で戦い続ける一方で、親善試合やE-1選手権のような必ずしも結果が求められない大会では、代表未経験の選手なども多数招集され、「ラージグループ」作り優先がさらに続いたのである。