■名監督を生んだ一戦

 そしてイングランドのサッカー界はこの一戦で目覚め、チーム戦術を重視した近代的なサッカーへと生まれ変わっていくのである。1960年代から1970年代にかけてイングランドで活躍した監督たち、マット・バスビー(マンチェスター・ユナイテッド)、ビル・シャンクリー(リバプール)、ロン・グリーンウッド(ウェストハム)などは、すべてこの1953年のハンガリー戦からインスピレーションを受けてチーム戦術を練り上げた人々だった。

 1974年ワールドカップでオランダ代表を率い、ヨハン・クライフを中心とした「トータルフットボール」で後のサッカーに大きな影響を与えたリヌス・ミケルス監督も、「偉大なハンガリー代表が私の革新的なサッカーの基礎を築いた」と評価した。そしてイングランドでは、1953年11月25日の「イングランド×ハンガリー」を「サッカーの歴史を変えた『世紀の試合』」と言い習わすようになるのである。

 翌年5月、イングランド代表はこの試合の「返礼」としてハンガリーの首都ブダペストに遠征したが、この時には1-7というさらに大きな差で敗れている。しかしファンは新聞記事で結果を知っただけで、前年のような興奮はなかった。

 イングランドのメディアによって「マジック・マジャール(魔法のハンガリー人たち)」と喧伝されたハンガリー代表は、1954年のワールドカップでも圧倒的な強さを見せて決勝に進出したが、雨で重くなったピッチに技術を消され、アディ・ダスラーという靴職人がつくった「スクリュー取り替え式スタッド」を使用した西ドイツに2-3の敗戦を喫する。

 そして1956年秋、民主化を求めたハンガリー国民の反政府活動に対しソ連軍が侵攻した「ハンガリー動乱」により、プスカシュを中心としたホンベドの選手たちの多くはスペインに亡命、「マジック・マジャール」は永遠に戻らないものとなった。

PHOTO GALLERY ■【画像】ハンガリー代表の新発明、イングランド代表を沈めた新システム
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